雨宝院

西陣の聖天さん

古義真言宗の寺院で、「西陣の聖天さん」と称される。本尊の聖天像は、空海が嵯峨天皇の御病平癒祈願に安置したものと伝えられる。境内には、歓喜桜や御衣黄などの八重桜が多く、花の寺としても親しまれている。

雨宝院

雨宝院について

基本情報

山号院号
北向山雨宝院(ほっこうさんうほういん)
別称
西陣聖天宮、西陣聖天、西陣の聖天さん
宗派
高野山真言宗
創建
伝 821年(弘仁12年)
開基
空海
本尊
大聖歓喜天
駐車場
駐車場なし
交通機関
今出川浄福寺バス停下車徒歩3分
住所
京都府京都市上京区智恵光院上立売西入ル聖天町9-3

概要

古義真言宗の寺院で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。 本尊の聖天(大聖歓喜天)像は、弘法大師空海が、嵯峨天皇の御病平癒祈願に安置したものと伝えられ、それが当寺の由来と伝わる。 もとは、大聖歓喜寺と呼ばれ、千本五辻(せんぼんいつつじ)にあったが、応仁の乱で荒廃し、天正年間に当地に再興された。 観音堂に安置する千手観音立像は、重要文化財に指定されている。 また、大師堂の本尊は、胎蔵界を表わし、汗をかくほど辛いことでも助けてくれる「阿吽あせかき弘法大師像」として信仰が厚い。 境内東南にある井戸は、この水を染物に用いるとよく染まるといわれることから「染殿井(そめどのい)」と呼ばれ、真夏でも涸れることがない。 本堂前の桜は「歓喜桜(かんきざくら)」といい、仁和寺の御室桜と同種の八重桜で、根元から八重の花が開く。 その隣にある松は「時雨の松」といい、久邇宮朝彦親王が参詣の際、しぐれを松の下でしのがれたと伝えられている。

見所

国重要文化財
木造千手観音立像 - 平安時代初期の作。一木造の漆箔像で、観音堂に安置されている秘仏。西陣聖天と称される。
観光名所
大聖歓喜天像 - 本堂本尊。空海が、嵯峨天皇の病気平癒を祈願して祀ったものと伝わる遺仏。像の頭に男女2像が抱き合った姿の像頭人身の歓喜天として日本最古のもの。
阿吽あせかき弘法大師像 - 大師堂本尊。汗をかくほど辛いことでも助けてくれるといわれる。
庚申堂 - 大黒天、釈迦如来、地蔵菩薩が安置。
不動堂 - 大聖不動明王が安置。
稲荷堂 - 寶稲荷大明神が祀られている。
瘡神社
鎮宅方除社
弁才天社
染殿井 - 西陣五水の名水。この井戸の水で染物を染めるとよく染まるといわれている。
歓喜桜 - 御室桜と同じ種類の八重桜。
御衣黄(ぎょいこう) - 花弁が黄緑色の珍しい八重桜。
時雨の松 - 本堂前の歓喜桜の横に立つ赤松。久邇宮朝彦親王が参詣の際、しぐれを松の下でしのがれたといわれる。

歴史

821年
空海が、嵯峨天皇の御病平癒祈願に歓喜天を安置し 嵯峨天皇の別荘であった千本五辻の時雨亭を賜わり、「大聖歓喜寺」と号したと伝わる。
応仁の乱
兵火で荒廃。
1573~1592年
天正年間、現在の地に再興し、「雨宝院」と称されるようになった。
明治維新
廃仏毀釈により、寺域が縮小した。

撮影後記

 五辻通の本隆寺の北隣にある小さな寺院です。 かわいらしい境内には、神仏習合の名残が見てとれ、所狭しと堂宇が散在しています。
 この寺は、西陣界隈の人にとっては、隠れた桜名所として知られているようです。 境内には、サトザクラが数多く植えられていて、4月も半ばになると天蓋の如く境内は桜花に覆い尽くされます。 境内が手狭なため、お日様も高くなると結構な花見客で賑わいをみせます。 散り始めの雨降りの日、境内一面に宝石を散りばめたかのように染めあがる日に訪問しても素敵かもしれません。

更新履歴

2012年2月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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