曼殊院

天台宗五門跡

天台宗五門跡のひとつに数えられる曼殊院門跡は、洛北屈指の名刹である。蓬莱式枯山水庭園は国の名勝、数々の意匠が施された書院は重文に指定されている。明治維新まで歴代門主が北野天満宮の別当職を歴任した。

曼殊院

曼殊院について

基本情報

寺号
曼殊院(まんしゅいん)
別称
曼殊院門跡、竹内門跡
宗派
天台宗
寺格
門跡寺院
創建
947年~957年(天暦年間)
開山
是算(ぜさん)
本尊
阿弥陀如来
札所
近畿三十六不動尊 第17番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
叡電修学院駅徒歩20分、一乗寺清水町バス停徒歩20分
住所
京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
サイト
曼殊院門跡

概要

天台宗五門跡(他は青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂)のひとつに数えられる洛北屈指の名刹である。 蓬莱式式枯山水庭園は国の名勝、洗練された数々の意匠が施された書院は国の重要文化財に指定されている。 他の天台門跡寺院と同様、最澄の時代に比叡山に草創された坊がその起源とされる。 天暦年間(947年~957年)是算国師が比叡山西塔に移り、「東尾坊(とうびぼう)」と号したのが実質的な開基で、是算国師が曼殊院初代とされている。 また、国師が菅原家の出生であったことから、北野神社(北野天満宮)初代別当職に補され、明治維新まで歴代門主が北野別当職を歴任した。 天仁年間(1108~1110年)8世忠尋が「曼殊院」と改め、北野神社の別当を兼ねるために北山に別院を建立し、次第に北山の別院が主体となっていった。 明暦二年(1656年)29世門主良尚法親王によって一乗寺へ移転され、現在の伽藍が整えられた。

見所

国宝
絹本著色不動明王像(黄不動) - 平安時代末の作。園城寺(三井寺)の黄不動像を元に制作されたひとつ。(京都国立博物館寄託)
古今和歌集(色紙 曼殊院本) - 11世紀の藤原行成の筆。古今和歌集の写本で、平安時代の仮名の名品。(京都国立博物館寄託)
国名勝
庭園 - 小堀遠州好みに作庭された書院庭園。水の流れを表した砂の中に樹齢400年の五葉松と杉苔の鶴島と亀島がある蓬莱式枯山水庭園。縁先の欄干は屋形舟を、石橋傍らの立石は枯滝を表している。五葉松根本に曼殊院型キリシタン燈籠が据えられ、庭園で五基の灯籠がある。キリシマツツジの名所。
国重要文化財
大書院(本堂)附廊下 - 明暦2年(1656年)の建築。本尊阿弥陀如来を安置する「仏間」、慈恵大師坐像を安置する「十雪の間」、「十雪の間」、「滝の間」、「滝の間」、「控えの間」がある。杉戸の引手は、経巻、瓢箪、扇子などの形をした巧妙さ。
小書院 附茶室 - 大書院と同時期の建築。「閑静亭」と称される。「入込の間」「富士の間」「黄昏の間」がある。寄木で作られた曼殊院棚、七宝焼き富士形の釘隠し、菊の透かし彫り欄間など繊細な意匠。遠州好みの平三畳台目茶室「八窓軒」が付属する。
庫裏 - 明暦2年(1656年)の建築。良尚法親王筆「媚竈(びそう)」の額が掲げられる。
木造慈恵大師坐像 - 文永五年(1268年)の銘。元三大師良源の木像。
玄関障壁画(紙本金地著色竹虎図)11面 - 大玄関の虎の間、竹の間の襖絵。狩野永徳の筆。
教訓鈔及続教訓鈔 9巻 - 雅楽の教本。
紺紙金泥般若心経(後奈良天皇宸翰 安房国宛) - 天文10年(1541年)後奈良天皇宸翰の写経で、全国66ヶ国に般若心経の奉納をされたもの。(京都国立博物館寄託)
池坊専好立花図 42図 - 池坊専好の立花の写生。(京都国立博物館寄託)
絹本著色草虫図 2幅 - 呂敬甫筆。(京都国立博物館寄託)
紙本著色是害房絵 2巻 -(京都国立博物館寄託)
花園天皇宸翰御消息 7通 -(京都国立博物館寄託)
後柏原天皇宸翰後土御門後柏原両天皇詠草 -(京都国立博物館寄託)
紙本墨書源氏物語 蓬生、薄雲、関屋 3冊 -(京都国立博物館寄託)
紙本墨書花園天皇宸翰御消息(普賢形像事云々) -(京都国立博物館寄託)
紙本墨書慈円僧正筆消息(十月五日 権少将宛 ) -(京都国立博物館寄託)
論語総略(紙背消息) -(京都国立博物館寄託)
古今伝授関係資料 73種 -(京都国立博物館寄託)
府文化財
諸国寺社縁起歓進帳類 - 南北朝時代から江戸期までの書籍や典籍121点。
観光名所
勅使門 - 明暦2年(1656年)の建築。15段の石段上に建ち、築地塀の定規筋は最上格の5本。
上之台所 - 高貴な来客や門跡寺院門主などのための厨房。
曼殊院天満宮 - 弁天池の弁天島に鎮座する鎮守堂、山内の一番古い建物。歴代の曼殊院門主は北野神社(北野天満宮)の別当を兼ねていた。

行事

毎月28日
不動尊護摩供養
1月3日
不動尊初護摩
2月15日
涅槃会
5月
菌塚法要
7月5日
良尚親王忌
10/1~10/5
曝涼(虫干し)
11月
夜間特別拝観 - 紅葉ライトアップ。

歴史

782年~806年
延暦年間、最澄が比叡山に鎮護国家の道場として一堂を建立したのが起源と伝わる。
947年~957年
天暦年間、是算が比叡山西塔に移り、「東尾坊」と号した。
1108~1110年
天仁年間、8世忠尋が「曼殊院」と改め、北山に別院を建立した。
中世
比叡山の本坊より北山の別院が主体となっていった。
1379~1381年
康暦年間、足利義満の北山殿造営のため、相国寺の南方に移転した。
1469~1487年
文明年間、26世門主の慈運(伏見宮貞常法親王の子)が入寺して以降、門跡寺院として確立した。
1656年
29世門主良尚法親王によって一乗寺へ移転され、現在の伽藍が整えられた。

撮影後記

 チョイとマニアックな話ですが、この寺院には菌塚なるものが隠れるようにあります。 人類生存に大きく貢献しるいる無数億の菌に対し至心に恭敬して、元大和化成株式会社社長の笠坊武夫氏が昭和56年に建立しました。 題字は菌類学者で「酒の博士」として知られた坂口謹一郎博士の筆。 樹木や動物、日用品などの塚は数多くありますが、菌の塚は初めて見ました。 姿形は肉眼では見ることができませんが、この世のありとあらゆる生物を陰で支え、そして最も多くの犠牲を払っているのは菌ですよね。

更新履歴

2015年10月3日
初版をアップロードしました。
2015年10月6日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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