浄瑠璃寺

九体寺

当尾にある真言律宗の古刹。9体の国宝阿弥陀如来像を安置し「九体寺」とも称される。国特別名勝の浄土式庭園に、西に九体阿弥陀如来像を安置した国宝本堂、東に国宝三重塔が立ち、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺について

基本情報

山号寺号
小田原山浄瑠璃寺(おだわらさんじょうるりじ)
別称
九体寺(くたいじ)
宗派
真言律宗
寺格
奈良の西大寺末
創建
1047年(永承二年)
開基
義明 - 奈良葛城の僧。
本尊
九体阿弥陀如来、薬師如来
札所
仏塔古寺十八尊、西国薬師四十九霊場、関西花の寺二十五霊場
駐車場
有料駐車場あり
交通機関
加茂駅及び奈良駅より奈良交通バス浄瑠璃寺前下車
住所
京都府木津川市加茂町西札場40
サイト
浄瑠璃寺 あ志び乃店

概要

木津川市加茂町の当尾の丘陵に鎮座する真言律宗の寺院。 寺号は薬師如来の東方浄土である「東方浄瑠璃世界」から由来。 9体の阿弥陀如来像を安置することから「九体寺」とも称される。 文化財が豊かな寺院である。 国の特別名勝に指定された池を中心とした浄土式庭園に、西に九体阿弥陀如来像を安置した国宝本堂、東に国宝三重塔が立ち、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。 境内には四季折々の花が咲き「関西花の寺二十五霊場」の札所でもある。

見所

国宝
本堂 - 平安時代後期の建立。九体の阿弥陀像が横一列に安置され横長である。藤原道長の造営した九体阿弥陀堂で、唯一現存するもの。
三重塔 - 藤原時代の和様建築。1178年、京都の一条大宮から移建したと伝わる。
木造阿弥陀如来坐像9体 - 平安時代末期の作。本堂に横一列に安置。
木造四天王立像 - 平安時代後期の作で、彩色文様がよく残っている。(二体は東京国立博物館と京都国立博物館寄託)
国特別名勝
浄瑠璃寺庭園 - 平安王朝寺院の雰囲気を残す浄土式庭園。
国重要文化財
厨子入木造吉祥天立像 - 鎌倉時代の作だが、平安朝風の優美な像。
木造地蔵菩薩立像 - 平安時代の作。
木造不動明王及び二童子像 - 鎌倉時代の作。
木造薬師如来坐像 - 三重塔の本尊。2009年にアライグマの被害を受けた。
三重塔初重壁画16面 - 十六羅漢図像は、平安時代の絵画資料として貴重。
石灯篭2基 - 南北朝時代のもので、本堂前と三重塔前に立っている。
浄瑠璃寺流記事 - 南北朝時代のもので寺の縁起も。
木造馬頭観音立像(奈良国立博物館寄託)

歴史

1047年
当麻(奈良県葛城市)の僧である義明が、地元の小豪族である重頼の援助で、薬師如来を本尊として創建したと伝わる。
1107~1157年
本尊の薬師如来像を西堂へ移し、「観無量寿経」に説かれる「九品往生」の影響で、九体阿弥陀如来を安置する現本堂が建立された。
1157年
興福寺権別当の興福寺一条院の恵信(藤原忠道の子)が、一条院の御祈所として整備した。
1178年
京都の一条大宮から現三重塔を移築し、薬師如来を安置した。
南北朝時代
本堂と三重塔を残し、伽藍が焼失。
江戸時代
興福寺一乗院の末寺であった。
明治初頭
廃仏毀釈で真言律宗に改宗し、奈良西大寺の末寺となった。
昭和27年
本堂、三重塔、木造阿弥陀如来坐像9体が国宝に指定された。
昭和28年
木造四天王立像が国宝に指定された。
昭和40年
庭園が国の名勝に指定された。
昭和60年
庭園が国の特別名勝に昇格した。

撮影後記

 京都というよりは、場所柄、ほとんど奈良の寺院といったところでしょうか。 文化面でも、平安京の文化というより藤原文化が色濃く、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える寺院です。 浄土なのは伽藍ばかりではなく、花の寺として四季折々の花が植えられ、真の意味で「花浄土」に相応しい寺院でもあります。
 また、仏像に興味がなければ、池のある浄土式庭園を含む山門内も志納ということになっています。 花の好きな方にとっては、何度も通うことができ、うれしいところです。

更新履歴

2011年10月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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