京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
紫野にある臨済宗大徳寺派大本山で、茶の湯文化とも縁が深い禅刹である。 夢窓疎石と共に禅林の双璧と讃えられる宗峰妙超(大燈国師)が、1315年(正和四年)頃に小庵を結んだのが起源である。 洛北随一の巨刹で、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線上に並ぶ禅宗伽藍の周囲に塔頭20有余の甍が連なる。 持明院統の花園上皇と大覚寺統の後醍醐天皇の帰依を受け高い寺格に位置づけられたが、足利政権が成立すると、後醍醐天皇と関係の深い大徳寺は軽んぜられ、京都五山から自ら離脱して在野の禅寺「林下」の道をとった。 応仁の乱で荒廃したが、一休宗純が住持となり堺の豪商らの帰依を得て中興した。 侘び茶を創始した村田珠光が一休和尚に参禅して以来、千利休や小堀遠州などの茶人が大徳寺と関係をもった。 桃山時代に豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営むと、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、現在の伽藍がほぼ整えられた。
大燈国師の高弟が妙心寺開祖の関山慧玄で、妙心寺のお兄さん的な京都の巨刹です。 国師は播磨国守護赤松氏の家臣である浦上氏の子として生まれ、11歳で姫路の書写山圓教寺に入り、鎌倉の高峰顕日(夢窓疎石の師匠)や南浦紹明(鎌倉建長寺開山蘭渓道隆の弟子)に参禅しました。 後醍醐天皇と関係が深かったため、室町幕府による京都五山(別格南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)からは自ら離脱しています。 修行を第一とする禅風を挙揚した在野の寺「林下」の代表的禅刹であります。
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