京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
寺町通に面して伽藍を構える日蓮宗の本山(由緒寺院)である。 1410年(応永17年)、本圀寺5世 日伝上人の弟子であった日秀上人が、父親の関白 近衛道嗣を弔って、本圀寺より分立して新町今出川の近衛道嗣の邸内に創建したのが由緒である。 「廣宣流布山 本願満足寺」と号し、近衛殿内道場として興隆した。 その後、天文法華の乱により他の法華宗の寺院と共に堺に避難した。 1539年(天文8年)、他の本山に先駆けて帰洛し、関白 近衛尚通の援助で現在地に再建され、後奈良天皇の勅願寺となったと伝わる。 7世日重上人(身延山20世)、8世日乾上人(身延山21世)、9世日遠上人(身延山22世)ら日蓮宗受布施派の高僧を輩出している。 墓地には尼子十勇士の筆頭 山中鹿之介の墓がある。
寺町寺院ですが、寺伝によれば、1539年(天文8年)に関白 近衛尚通の援助で現在地に再建されことになっています。 ただし他の寺院と同じく、豊臣秀吉の都市改造によって強制移転されたという説もあるようです。 同志社大学新町キャンパスの南側には、元本満寺町という地名が残っています。 山科言継の日記「言継卿記」の記載によれば、1545年に「近衛殿近所」に存在しており、新町キャンパスの辺りの町名が近衛殿町ですから、寺伝に矛盾することになります。
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