大聖寺

御寺御所

花の御所跡の一角に建つ臨済宗系単立の尼門跡寺院。花の御所内の岡松殿に住した日野宣子が、法名にちなんで寺としたのが起源。以来、江戸時代末まで歴代24代の内親王が住持を務め、「御寺御所」の称号が贈られた。

大聖寺

大聖寺について

基本情報

山号寺号
岳松山大聖寺(がくしょうざんだいしょうじ)
別称
御寺御所
宗派
臨済宗系単立
寺格
門跡寺院
創建
1382年(永徳二年)
開山
無相定円尼 - 光厳天皇妃 日野宣子。
開基
足利義満
本尊
釈迦如来
札所
神仏霊場巡拝の道 第98番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄今出川駅すぐ
住所
京都府京都市上京区御所八幡町109

概要

足利義満が造営した「花の御所」跡の一角に寺地を構える臨済宗系単立の尼門跡寺院。 光厳天皇妃 日野宣子(足利義満正室 日野業子の叔母)が、落飾して花の御所内の岡松殿に住み、1382年に死去すると、遺言により岡松殿を法名にちなんで「大聖寺」としたのが起源。 以来、江戸時代末の光格天皇皇女まで歴代24代の内親王が住持を務め、正親町天皇皇女が入寺した際、天皇から尼寺第一位の綸旨を得て、「御寺御所」の称号が贈られた。 市の名勝に指定されている庭園は、元禄10年(1697年)、明正天皇の河原の御殿から材料を移して作庭されたものである。 本堂は、昭和17年に大正天皇の妃 貞明皇后の御殿であった東京青山御所より移築されている。

見所

国重要文化財
無外如大自筆譲状 - 鎌倉時代の弘安九年十二月七日の銘。
絹本著色一翁院豪像 - 鎌倉時代の作。(京都国立博物館寄託)
国登録文化財
本堂 - 昭和18年に大正天皇の妃 貞明皇后の御殿であった東京青山御所より移築された。「貴人の間」には、金地に「瑞鳥瑞花」の障壁画で飾られている。
残月亭 - 四畳半台目の茶室を中央にする六畳間。
玄関 - 大正12年の建築。
表門 - 江戸後期の建築。大正11年に移築された。
渡り廊下 - 昭和17年の建築。本堂と玄関を繋ぐ。
高塀 - 昭和17年頃の造立。表門から玄関への通路と境内前庭を区切る。
築地 - 大正11年頃の造立。烏丸通沿いに位置する東面築地と、境内南辺の小路沿いに続く南面築地がある。
市名勝
庭園 - 東西30mの枯流れを主体とする御所風の枯山水庭園。元禄10年(1697年)、明正天皇の河原の御殿から材料を移して作庭された。
観光名所
書院 - 「宮御殿」とも呼ばれる。光格天皇皇女 普明浄院宮の入寺の際、御所より千両拝領して御殿風に建立された。
花乃御所の石碑 - 室町幕府の「花の御所」跡。

歴史

1368年
光厳天皇妃 日野宣子が、落飾して大聖院無相定円尼となり、足利義満が花の御所内の岡松殿に迎えた。
1382年
無相定円尼が死去し、遺言により岡松殿を法名にちなんで「大聖寺」とした。
室町時代
長谷(現在の岩倉)に移り、「北山大聖寺」と称した。
1479年
毘沙門町(現在の上京区上立売通)に移った。
1673年
火災で焼失した。
1696年
岡松殿があった旧地に再興された。
江戸時代中期
正親町天皇皇女が入寺した際、天皇から尼寺第一位の綸旨を得て、「御寺御所」の称号が贈られた。
1788年
天明の大火で焼失した。
昭和18年
東京の青山御所より本堂が移築された。

撮影後記

 「京の冬の旅」で27年ぶりの特別公開時に本堂や庭園を拝観したことはあるのですが、庭園を含めて一切撮影禁止でしたので、堂内の写真は掲載してありません。 堂外撮影禁止は一歩譲って致し方ないとしても、特別拝観も何十年に一回レベルでは、名勝指定を解除してもらいたいのが持論。 広く市民が訪れて名所となっているから名勝なんだろうし。 表門付近の「大聖寺庭園」の解説板も、あの位置に立っていて、なんだかなぁ。

更新履歴

2014年12月23日
初版をアップロードしました。

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