本願寺西山別院

旧西本願寺本堂遺構

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院で、僧侶を育成する得度習礼研修道場の役割も担っている。最澄の草創と伝わり、本願寺第3代覚如によって浄土真宗の念仏道場となった。本堂は、旧西本願寺阿弥陀堂の遺構である。

本願寺西山別院

本願寺西山別院について

基本情報

寺号
本願寺西山別院(ほんがんじにしやまべついん)
別称
西山御坊、久遠寺、桂御房、川島別院
宗派
浄土真宗本願寺派
寺格
別院
創建
800年頃
開山
最澄 - 伝教大師。
開基
覚如 - 本願寺第3代。
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
阪急桂駅徒歩5分
住所
京都府京都市西京区川島北裏町29
サイト
本願寺西山別院

概要

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院で、本願寺派僧侶を育成する得度習礼研修道場としての役割も担っている。 平安時代初期、最澄が西山の地に創建した「久遠寺」が起源となると伝わる。 1314年、本願寺第3代の覚如が、荒廃していた久遠寺を復興し、浄土真宗の念仏道場となった。 府の文化財に指定されている本堂は、旧西本願寺本堂(阿弥陀堂)を移築した本願寺伽藍の歴史的遺構である。 本堂の障壁面は、江戸初期の本願寺お抱え絵師であった徳力善宗の障壁画「松に藤図」「桜に牡丹図」が描かれ、国の重文。

見所

国重要文化財
本堂障壁面 8面 - 江戸初期の本願寺お抱え絵師であった徳力善宗の障壁画「紙本金地著色松に藤図」「紙本金地著色桜に牡丹図」が四面づつ描かれている。(通常非公開)
府文化財
本堂 - 旧西本願寺阿弥陀堂を移築した本願寺伽藍の歴史的遺構。本尊は西本願寺の旧本尊。1617年の焼失後、翌年には仮本堂(現当院本堂)が再建され、現在の西本願寺阿弥陀堂建立にあたり、1756年に当院に移築された。内陣天井は格天井ではなく、一面に一組の天人が描かれている珍しい真宗寺院の本堂形態。
観光名所
覚祖廟 - 覚如の御廟で、東山延仁寺で火葬され、遺言によって妻であった善照尼の眠るこの地に納められた。
山門 - 1771年の建立。2010年の修復時に棟札が発見され、創建年と薬医門であることが確認された。
書院 - 1812年の建立。週末にはお茶や生花のお稽古場として活用されている。
鐘楼 - 1774年の建立。
太鼓楼跡地 - 山門北側には木造二階建入母屋造の太鼓楼が建っていたが、老朽化のため2009年に解体保存し、将来の復元に備えている。
得度習礼教師教修研修道場 - 得度し本派僧侶資格を授かるための研修施設。1階が対面所で、正面の松鶴図の障壁画は、江戸後期の対面所創建当時のもの。

歴史

800年頃
桓武天皇の発願により、最澄は西山の地に久遠寺を創建し、これが起源となると伝わる。
1314年
本願寺第3代 覚如が、荒廃していた久遠寺を復興し、浄土真宗の念仏道場となった。
1336年
大谷廟が兵火により焼失し、覚如は当寺に移った。
1351年
覚如が入滅し、東山延仁寺で火葬され、遺言によって妻であった善照尼の眠るこの地を廟所とした。以後、当院は本願寺歴代宗主兼帯所となった。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1558~1570年
永禄年間、川島の辻某が法林寺の周善に帰依し、法林寺の通寺になり真宗道場となった。
1570~1580年
石山合戦で、織田信長との抗争が続き荒廃した。
1670年
法林寺4代の善益は、本願寺第十四代寂如の命により、寺領を本願寺に献上し、以後、本願寺別院になった。その後、寺基が整えられ、大谷本廟の本尊が遷された。
1756年
西本願寺旧本堂(阿弥陀堂)が、新たな本堂造営に伴い、当院に移築され、一時は本願寺筆頭別院に列せられるほど興隆した。

撮影後記

 阪急桂駅のすぐ東側に寺基を置く寺院です。 境内地には、本願寺派の僧侶を育成する「得度習礼・教師教修所研修道場」が併設されています。 写真をはじめたという主管さんによる公式ブログによれば、本派僧侶資格を授かるには、必ずここで11日間の得度習礼を受けなければならないとのこと。 老若男女、日本のみならず海外からもいらっしゃり、みなさん外出禁止で厳しい勤行を熟し卒業していくそうです。 ここは、僧侶になるための登竜門と言える地なのかもしれませんね。

更新履歴

2013年2月11日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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