鳥羽離宮跡公園

南殿跡

平安時代後期、白河・鳥羽・後白河上皇が院政を行った鳥羽離宮。1086年、白河天皇が退位後に院政を開始する拠点として最初に造営された南殿跡を、昭和38年から42年にかけて調査し、史跡公園として整備された。

鳥羽離宮跡公園

鳥羽離宮跡公園について

基本情報

名称
鳥羽離宮跡公園(とばりきゅうあとこうえん)
別称
鳥羽離宮南殿跡
指定
国史跡(鳥羽殿跡)
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
城南宮バス停徒歩3分
所在地
京都府京都市伏見区中島御所ノ内町

概要

平安時代後期、白河・鳥羽・後白河上皇が院政を行った院御所である鳥羽離宮。 平安京の羅城門から南に約3キロに位置し、敷地面積は180万平方メートル、南殿・北殿・泉殿・馬場殿・田中殿などには、それぞれ御堂が附属し、広大な池泉庭園が築かれた。 鳥羽離宮跡公園は、1086年、白河天皇が退位後に院政を開始する拠点として最初に造営された南殿跡である。 昭和38年から42年にかけて調査し、史跡公園として整備された。 公園北辺にある土盛りは、庭園に設けられた築山の遺構である。

見所

国史跡
秋ノ山 - 公園北辺にある土盛りは、庭園に設けられた築山の遺構。
鳥羽殿跡石碑 - 鳥羽離宮で最初に造営された南殿跡地。南殿御所は西南から東北へと順次に雁行形に配置された寝殿造りで、御堂として証金剛院があった。

歴史

1086年
白河天皇が鳥羽離宮南殿の造営に着手し、院政を開始した。
1101年
白河上皇の発願で、南殿に証金剛院が創建された。
1107年
鳥羽天皇が5歳で即位した。
1129年
白河法皇の崩御により、鳥羽上皇が院政を開始した。
1131年
鳥羽上皇の発願で、泉殿に成菩提院が創建された。
1136年
鳥羽上皇の発願で、北殿に勝光明院が創建された。
1137年
鳥羽上皇の発願で、東殿に安楽寿院が創建された。
1154年
鳥羽上皇の発願で、田中殿に金剛心院が創建された。
1156年
鳥羽法皇が東殿の安楽寿院で崩御された。
1179年
平清盛の命によって後白河法皇が北殿に幽閉され、院政を停止された。
南北朝時代
兵火によって急速に荒廃した。

撮影後記

 鳥羽離宮の遺構としては、他に安楽寿院と城南宮ぐらいしか残っていません。 昭和38年の名神高速道路京都南インターチェンジ建設以降、附近一帯の景観は一変してしまったそうです。 安楽寿院に、現在の地図に重ねて鳥羽離宮の地図が描かれていました。 東殿、南殿、北殿、馬場殿、泉殿、田中殿など御所と苑池からなる広大なもので、現在とは異なって鴨川はもっと東側を南流して、安楽寿院は西を南流する桂川と鴨川に挟まれていました。

更新履歴

2015年1月14日
初版をアップロードしました。

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