寂照院

孟宗竹発祥の地

長岡京市にある真言宗単立寺院。「日本孟宗竹発祥の地」とも伝わり、道元が宋より持ち帰り当地に植えたといわれ、孟宗竹の竹林がある。本堂には、府重文の鎌倉時代の四天王像をはじめ、多数の貴重な仏像を所蔵する。

寂照院

寂照院について

基本情報

山号寺号
木上山寂照院(こがみざんじゃくしょういん)
別称
海印寺
宗派
真言宗系単立
創建
819年(弘仁十年)
開山
道雄 - 空海の十大弟子のひとり。
本尊
千手観音菩薩
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
明神前バス停徒歩3分
住所
京都府長岡京市奥海印寺明神前31

概要

長岡京市にある真言宗系の単立寺院。 819年、空海の十大弟子のひとりである道雄が、夢枕に木上山が現れ、山上に赴くと椎から千手観音が現れ、本尊として草創されたと伝わる。 「海印寺」と号され、華厳宗を学ぶ鎮護国家の道場で、後に真言宗との兼学となった。 平安時代には定額寺となり塔頭十院を有し興隆したが、応仁の兵火により海印寺が焼失し、塔頭の寂照院のみが残された。 「日本孟宗竹発祥の地」とも伝わり、道元が宋より持ち帰り当地に植えたといわれ、境内奥に孟宗竹の竹林がある。 本堂には、府指定重文の鎌倉時代の四天王立像をはじめ、多数の貴重な仏像を所蔵する。

見所

府文化財
木造四天王立像 - 1217年の作。胎内に「建保五年八月六日、仏師院能、僧良心等造立」の銘。
寂照院金剛力士像造立結縁交名(紙背御成敗式目) - 1344年の古文書。(個人所有)
市史跡
走田9号墳石室 - 本堂裏にある7世紀初めの円墳。平成7年、本堂再建の際に横穴式石室が発見された。
観光名所
本堂 - 本尊の千手観世音菩薩像、府指定重文の鎌倉時代の四天王立像(多聞天、持国天、広目天、増長天)、妙見菩薩像、阿弥陀如来像、南北朝時代の仁王像2躰、日本最古という水子地蔵尊などを安置。
日本孟宗竹発祥の地の石碑 - 道元が宋より持ち帰り当地に植えたと伝わる。門前に石碑が、境内奥に孟宗竹の竹林がある。

歴史

819年
佐伯道雄僧都が、夢枕に木上山が現れ、山上に赴くと椎から千手観音が現れ、本尊として草創されたと伝わる。「海印寺」と号され、華厳宗を学ぶ鎮護国家の道場であった。後に真言宗との兼学となった。
851年
定額寺となり塔頭十院を有し興隆した。
平安時代末期
衰微した。
鎌倉時代
宗性が復興した。
1227年
道元が宋から孟宗竹を持ち帰り、この地に植えたと伝わる。
1265年
東大寺の尊勝院末寺となった。
応仁の乱
兵火により海印寺が焼失し、塔頭の寂照院のみが残された。
近世~近代
荒廃した。
平成7年
本堂再建の際に横穴式石室が発見された。
平成16年
仁王門、薬医門が再建された。

撮影後記

 日本のタケの中で最大で、中国の江南地方原産の孟宗竹(モウソウチク)発祥の地とされる寺院です。 タケノコは大きく肉厚で柔らかく、寺院などでも好んで植えられ、日本各地で一般的に見られる竹です。 67年に1度花が咲くともいわれる、面白い性質もあります。
 ちょうど住職さんと立ち話する機会があり、貴重なお話を聞けました。 草木が生い茂り、誰も寄り付かないような廃寺寸前だった当院を、住職さんが一代で復興したこと。 誰も見向きもしなかった仏像が、府の重文に指定されたことなど、興味深い話でした。

更新履歴

2013年1月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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