衡梅院

雪江宗深の塔所

細川政元によって1480年に創建された臨済宗妙心寺の塔頭で、妙心寺中興開山 雪江宗深の塔所である。雪江禅師は四人の弟子を輩出し、四派本庵が創建され、ここに大本山の時運は定まったのである。方丈は国の重文。

衡梅院

衡梅院について

基本情報

寺号
衡梅院(こうばいいん)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1480年(文明十二年)
開山
雪江宗深 - 妙心寺6世。
開基
細川政元 - 室町幕府管領。
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
妙心寺前バス停徒歩5分、京福妙心寺駅徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町66

概要

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院のひとつ。 1480年(文明十二年)、室町幕府管領 細川政元が、花園天皇離宮跡に妙心寺中興の祖 雪江宗深を開山として創建した。 応仁の乱で灰燼に帰した妙心寺の復興に心血を注いだ妙心寺6世 雪江宗深の塔所である。 雪江禅師は四人の弟子、景川宗隆(龍泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雪派)、東陽英朝(聖沢派)を輩出し、妙心寺発展の基礎となった四派本庵が創建された。 ここに日本最大級の大本山の時運は定まったのである。 1604年(慶長9年)建立の方丈は国の重文で、雪江禅師と四弟子をテーマとした「四河一源の庭」と称す枯山水庭園がある。

見所

国重要文化財
本堂(方丈) - 1604年(慶長9年)の建立。死去2年前の頂相 雪江禅師像を安置。狩野派絵師 大岡春卜筆の障壁画「竜虎羅漢図」「獅子図」「楼閣山水画」、昭和の日本画家 加瀬藤圃筆の「十六羅漢図」がある。
観光名所
茶室 長法庵 - 大正時代に南山城から移築された。
方丈庭園 - 一面の杉苔に石組と楓の植栽による中根金作の作庭。「四河一源の庭」と称し、中央の石「一源」は雪宗深江、周囲の四石「四河」は雪江の四弟子、景川(龍泉派)、悟渓(東海派)、特芳(霊雪派)、東陽(聖沢派)を表す。

歴史

1480年
細川政元が花園天皇離宮跡に妙心寺中興の祖 雪江宗深を開山として創建した。
1486年
雪江宗深が示寂し、遺命により塔所となった。
戦国時代
細川氏の外護を失い、本山監寺により護られた。
1596~1615年
天秀得全が中興し、豊臣方七人衆 真野蔵人の寄進により現在の本堂が建立され、以降霊雲派に属した。

撮影後記

 妙心寺四派本庵の霊雲派に属しているそうですが、四本庵各々の開山禅師の師である雪江禅師の塔所であることから、四本庵以上に由緒がある塔頭です。 妙心寺の数ある山内塔頭のなかでは、玉鳳院に次いで格式高い塔頭といえるのかもしれません。
 通常時は非公開塔頭ですが、「京の冬の旅」で特別公開していたので拝観してきました。 以前の方丈南庭は白砂が敷かれた枯山水だったそうですが、中根金作氏によって苔地に楓が植えられた枯山水になりました。 新緑と紅葉の頃はさぞかし美しいのだろうなぁと、縁側に座って心眼でしばし眺めていました。

更新履歴

2015年2月26日
初版をアップロードしました。

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