羽束師神社

京都市最古の神社

京都市内最古の神社といわれる羽束師坐高御産日神社は、古墳時代477年の創祀と伝わる。「続日本紀」が初見で、701年以前に奉斎されていたと考えられる。延喜の制が整えられると、山城国筆頭の式内大社に列格された。

羽束師神社

羽束師神社について

基本情報

社名
羽束師坐高御産日神社(はづかしにますたかみむすひじんじゃ)
別称
羽束師神社
創建
伝 477年(雄略天皇21年)
主祭神
高皇産霊神(タカミムスビ)、神皇産霊神(カミムスビ)
旧社格
式内大社、郷社
例祭
10月18日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
菱川町バス停徒歩3分
住所
京都府京都市伏見区羽束師志水町219-1

概要

桂川右岸の旧乙訓郡羽束師村に鎮座し、古墳時代の477年(雄略天皇21年)創祀と伝わり、京都市最古の神社とされる。 「続日本紀」が初見で、701年(大宝元年)以前に既に奉斎されていたと考えられる。 天地開闢の刻、高天原に現れて万物を創造したという造化三神のうちの二神、高御産日(たかみむすび)神と神御産日(かんむすび)神を主祭神とし、「羽束師坐高御産日神社」という。 桂川や旧小畑川などが合流する羽束師地域は、農耕地として太古から栄え、生産・生成を意味する「産霊(むすひ)」信仰が育まれ、延喜の制が整えられると、山城国筆頭の式内大社に列格され、五穀豊穣の神として朝野の崇敬も篤いものとなった。 桂川流域の歴史を考えるうえで貴重であり、境内が京都市の史跡に指定されている。

見所

市史跡
本殿 - 1850年(嘉永3年)の再建。神明造。
拝殿 - 1850年(嘉永3年)の再建。割拝殿。
治水頌功之碑 - 江戸時代、羽束師川の治水工事に尽力し桂川の水害から民を救った古川為猛の功績を顕彰する。
羽束師の森 - 社叢は古くは「羽束師の森」といわれ、歌枕になっていた。
境内社 - 十一社(貴布禰社、西宮社、愛宕社、厳嶋社、稲荷社、若王子社、籠守勝手大明神社、大神大明神社、春日大明神社、八幡大明神社、天照皇大神社)。
観光名所
北向見返天満宮 - 境外摂社。菅原道真が太宰府左遷の際に当社に参詣して、「捨てられて 思ふおもひのしげるをや 身をはづかしの 社といふらん」と詠じ下向したという。

祭事

5月第2日曜
羽束師祭 - 還幸祭には菱川町、古川町、志水町、樋爪町の氏子区を神輿が巡行する。
10月18日
例祭

歴史

477年
創祀されたと伝わる。
567年
欽明天皇より封戸を贈られたと伝わる。
701年
「続日本紀」にて初見。
808年
平城天皇の奏聞を得て、摂社11社が勧請された。
901年
菅原道真が太宰府左遷の際に当社に参詣した。
967年
「延喜式」で山城国筆頭の式内大社に列格された。
中世
久世より下の村々の産土神として崇敬された。
1850年
現在の社殿が再建された。

撮影後記

 京都府の運転免許試験場のほど近くに位置する古社です。 京都の運転免許センターって、こんな偏った場所に位置して、しかも南北に長い府内で一箇所しかないんいですね。 先週、居住県の免許更新に行ってきたばかりなので、気になりました。
 それはさておき、「羽束師坐高御産日神社」とヤヤコシイ社名です。 羽束師 / 坐 / 高御産日 / 神社と区切ると判りやすいでしょう。 「羽束師」は氏子域の地名で、瓦や土器の製作に携わった品部から由来しているそうです。 「坐」は、訓読み(大和言葉)いますの意味かと。 「高御産日」は祭神名からです。

更新履歴

2015年1月24日
初版をアップロードしました。

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