要法寺

日蓮本宗本山

日興の法脈を継承する富士門流に属する日蓮本宗の大本山で、同門流の興門八本山のひとつ。開祖は日尊で、1308年に法華堂を建立したのが起源とされる。1万3500平方mの寺域を有し、塔頭8院を数える大伽藍である。

要法寺

要法寺について

基本情報

山号寺号
多宝富士山要法寺(たほうふじさんようほうじ)
別称
松の寺
宗派
日蓮本宗
寺格
大本山
創建
1308年(延慶元年)
開山
日尊
開基
日尊
本尊
十界曼荼羅
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄東山駅徒歩3分
住所
京都府京都市左京区法皇寺町448

概要

日興の法脈を継承する富士門流に属する日蓮本宗の大本山で、同門流の興門八本山(上条大石寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、下条妙蓮寺、伊豆実成寺、保田妙本寺)のひとつ。 開祖は日尊(宗祖日蓮、二祖日興、三祖日目、四祖日尊)で、1308年(延慶元年)、法華堂を建立したのが起源とされる。 天文法華の乱により京を追われ、1550年(天文19年)、日尊と弟子によって建立された上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。 1万3500平方mの寺域を有し、塔頭8院を数える大伽藍である。

見所

国重要文化財
金銅蓮華唐草文透彫経箱 - 天文24年(1555年)の銘。(京都国立博物館寄託)
観光名所
本堂 - 1774年(安永3年)の建立。
開山堂 - 1830年(天保1年)の再建。等身大の日尊像を安置。
鐘楼堂 - 1737年(元文2年)の建立。
表門 - 1724年(享保9年)伏見桃山城から移築。
西門 - 1857年(安政4年)伏見桃山城から移築。
薬医門 - 1779年(安政8年)の建立。
塔頭 - 本地院、真如院、妙種院、本行院、顕寿院、実成院、法性院、信行院。

行事

2月16日
日蓮聖人誕生会
4月28日
立教開宗会
5月8日
御開山会
10月13日
宗祖御会式

歴史

1308年
日尊が山城国に法華堂(要法寺の前身)を建立した。
1336年
日尊が六角油小路に法華堂(後の上行院)を建立した。
1362年
日尊の弟子 日大が冷泉西洞院に法華堂(後の住本寺)を建立した。
1536年
天文法華の乱により、上行院、住本寺ともに焼失し、堺へ避難した。
1548年
法華宗徒の京への帰洛が許された。
1550年
五條坊門堀川(堀川綾小路)に上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。
1583年
豊臣秀吉の都市改造により、京極二条東(寺町二条)に移転した。
1708年
宝永の大火で焼失し、現在地に移転した。
1759年
宝暦の大火で焼失した。
明治9年
富士門流の統一教団日蓮宗興門派の結成に参加。
明治32年
大石寺を除く日蓮宗興門派は日蓮本門宗(本門宗)と改称。
昭和25年
旧末寺50ヶ寺とともに日蓮宗から独立し、日蓮本宗を結成した。

撮影後記

 東山三条にある大寺です。 駒札も立っていなく、京都の観光オフィシャルサイトでも紹介されていないので観光寺院ではないのでしょうが、立派な堂宇が立ち並んでいます。 江戸時代に境内に多くの松が植えられ、「松の寺」とも呼ばれたそうです。 建物オンリーの写真は多くあるのですが、青松では季節感が表現できず、ギャラリーに掲載している写真は少な目です。

更新履歴

2015年1月16日
初版をアップロードしました。

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