裏千家今日庵

最大の茶道流派

千利休を祖とする三千家のひとつ。三代の千宗旦が、表千家の裏に茶室今日庵を建て隠居したのがはじまりで、今日庵は裏千家をさす代名詞。封建制崩壊後、時代に即した茶道普及に尽力し、最大の茶道流派となった。

裏千家今日庵

裏千家今日庵について

基本情報

名称
裏千家今日庵(うらせんけこんにちあん)
指定
国名勝
駐車場
駐車場なし
交通機関
地下鉄鞍馬口駅徒歩15分、堀川寺之内バス停徒歩5分
所在地
京都府京都市上京区小川通寺之内本法寺前町613
サイト
裏千家 今日庵

概要

表千家、武者小路千家と並び、千利休を祖とする三千家のひとつ。 最大の茶道流派で、茶道人口の過半数は裏千家門下であるといわれる。 今日庵が、表千家不審庵と隣接して、通りからみて裏にあることから、「裏千家」と称される。 裏千家住宅は国の重要文化財に指定され、二畳(一畳台目)の今日庵、利休四畳半の又隠(ゆういん)、八畳の寒雲亭などの茶室がある。 中でも今日庵は国の名勝に指定され、千宗室家元の号、屋敷全体や裏千家自体のこともさす。 三代 千宗旦が、表千家不審庵の北裏に今日庵を建てて四男の仙叟宗室と共に隠居したのがはじまり。 以降の歴代宗室(家元)は、加賀前田家や伊予松山の松平家に仕え、手厚い庇護を受けた。 明治維新後は、外国人や学校教育に茶道を普及させるなど、時代に即した普及発展に尽力してきた。

見所

国名勝
今日庵 - 裏千家(裏千家住宅)を代表する茶室で、千宗室家元の号、屋敷全体や裏千家自体のこともさす。千宗旦が、表千家不審庵を江岑宗左に譲り、南隣に隠居所として建てたもの。(非公開)
国重要文化財
裏千家住宅 附表門 - 一畳台目の今日庵、4畳半の又隠、八畳の寒雲亭などの茶室がある。小川通に面する一間腕木門の表門は兜門とも称される。(表門以外非公開)
無爾可宣墨蹟 -(非公開)
赤楽茶碗 - 太郎坊長次郎作(非公開)

歴史

1646年
三代 元伯宗旦(千宗旦)は、不審庵を三男の江岑宗左に譲り、不審庵の北裏に今日庵を建てて四男の仙叟宗室と共に隠居した。このときの茶室が、一畳台目の今日庵、利休四畳半の又隠、八畳の寒雲亭であった。
1658年
宗旦が死去すると、仙叟宗室は宗旦の茶室を引き継ぎ、新たに裏千家を興し、裏千家四代となった。
1671年
仙叟宗室は、加賀前田家に茶頭として仕官した。
1697年
仙叟宗室が死去し、その後、五代 常叟宗室が、加賀前田家の仕官を辞して松山藩久松家に仕官した。幕末まで、久松家に仕官しながら前田家とも交流を続けることになる。
1788年
天明の大火により、茶具は大徳寺に持ち出すことができたが、千家伝来の茶室をすべて焼失してしまった。
1789年
九代 石翁宗室によって茶室が再建された。
明治5年
11代 精中宗室が、京都博覧会において外国人を迎えるための立礼式を創案し、はじめて茶道以外の華道・香道・謡曲などにも携わった。
戦後
14代 碩叟宗室が、茶道の学校教育への導入を働きかけ、クラブ活動での茶道の主流が裏千家となった。また、15代 汎叟宗室により、海外普及も図られた。

撮影後記

 テレビでは露地を拝見したことはありますが、小川通に面した兜門しか思い浮かびません。 国家の名勝に指定されていますが、知る限り特別公開もないので、どうしても露地を拝観したければ、裏千家の初級資格を取得するか、前年度に淡交会に入会し抽選に当選するしかありません。 本法寺の向こう側、堀川通の裏千家センターには、茶道資料館や今日庵文庫(茶道の図書館)があるので、茶道に興味ある方は立ち寄るとよいでしょう。 また、周辺には茶道具屋さんなども多く、見る分には楽しいものです。

更新履歴

2012年6月9日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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