金福寺

俳諧の聖地

一乗寺にある臨済宗南禅寺派の古刹。松尾芭蕉が当庵に滞在し、後に、芭蕉を敬慕する与謝蕪村が、その芭蕉庵を再興した。境内には蕪村の墓をはじめ、近世俳人の墓、多くの句碑もあり、「俳諧の聖地」とも称される。

京都金福寺

金福寺について

基本情報

山号寺号
佛日山金福寺(ぶつにちざんこんぷくじ)
宗派
臨済宗南禅寺派
寺格
円光寺末
創建
864年(貞観六年)
開山
安恵(あんえ)
開基
円仁(えんにん) - 慈覚大師。
中興開山
鉄舟 - 天台宗から臨済宗南禅寺派に改宗。
本尊
聖観音菩薩
駐車場
無料駐車場あり - 2台分の駐車スペース。
交通機関
市バス一乗寺下り松町下車徒歩7分
住所
京都府京都市左京区一乗寺才形町20

概要

一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院。 元禄年間に中興した鉄船和尚は松尾芭蕉と親交があり、芭蕉が庵に滞在し、風雅の道について語り合った。 後に、芭蕉を敬慕する与謝蕪村と一門が、その芭蕉庵を再興し、現在も庭園の背後に建っている。 芭蕉庵の背後には蕪村が眠る。 舟橋聖一の「花の生涯」ヒロインである村山たか女が出家し、波乱の生涯を閉じた場所でもある。 また、近世俳人の墓、多くの句碑もあり、俳諧の聖地とも称される。

見所

観光名所
本堂 - 与謝蕪村、村山たか女の遺品が安置。
芭蕉庵 - 高台にある茅葺き屋根の茶室。松尾芭蕉が、京都の鉄舟和尚を訪ねた折、この庵で親交を深め、和尚は「芭蕉庵」と名付けた。その後、荒廃。1776年、芭蕉を敬慕する与謝蕪村と一門によって再興された。
弁天堂 - 村山たか女の寄進で創建。
庭園 - サツキの築山と白沙の枯山水庭園。
与謝蕪村の墓 - 芭蕉庵の背後にある。
村山たか女の詣墓 - 位牌を安置。本墓は圓光寺。

行事

12月15日
蕪村忌

歴史

864年
慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が、円仁自作の聖観世音菩薩を祀り、天台宗寺院を創建したのが由来。
その後、荒廃。
1688~1704年
元禄年間、円光寺の鉄舟によって再興され、円光寺の末寺となり、臨済宗南禅寺派に改宗した。
松尾芭蕉が鉄舟を訪ね、当寺の芭蕉庵で風雅の道について語り合い親交を深めた。
1776年
芭蕉を敬慕する与謝蕪村と一門が、荒れ果てていた芭蕉庵を再興した。
1862年
村山たか女が尊王攘夷派の武士に捕らえられ、三条河原に3日3晩晒され、その後、当寺に入寺し妙寿尼と名乗る。
明治9年
村山たか女が当寺で死去。

撮影後記

 詩仙堂から程近く紅葉が美しいお寺さんであります。 境内はさほど広くないため、ハイシーズンには比較的混みあいます。
 蕪村といえば「菜の花や 月は東に 日は西に」があまりに有名ですね。 六甲の摩耶山を訪れた時の歌といわれますが、瞼を閉じると情景が浮かぶようです。 当時の摩耶山には菜の花畑が広がっていたそうです。 蕪村は、摩耶山で菜の花の俳句を他にも残しています。 「菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる」 「菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣」 そして当寺では「菜の花を 墓に手向けん 金福寺」を歌いました。 今度は春に再訪したいものです。

更新履歴

2011年11月2日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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