建仁寺

京都最古の禅刹

臨済宗建仁寺派の大本山。茶祖でもある栄西が、京都における臨済宗の拠点として建立した京都最古の禅宗寺院で、京都五山の第三位に列格され興隆した。俵屋宗達の代表作「風神雷神図屏風」は、国宝指定の寺宝である。

建仁寺

建仁寺について

基本情報

山号寺号
東山建仁寺(とうざんけんにんじ)
別称
けんねんさん、建仁禅寺、建仁寺の学問面
宗派
臨済宗建仁寺派
寺格
建仁寺派大本山、京都五山三位
創建
1202年(建仁二年)
開山
栄西(ようさい、えいさい)
開基
源頼家 - 鎌倉幕府2代将軍。
本尊
釈迦如来
駐車場
有料駐車場あり - 拝観すれば1時間まで無料。
交通機関
祇園四条駅徒歩7分、京都バス東山安井下車徒歩5分
住所
京都府京都市東山区小松町584
サイト
建仁寺

概要

臨済宗建仁寺派大本山。 京都最古の禅宗寺院で、大統院、久昌院、両足院、禅居庵、霊洞院、大中院など塔頭14カ寺が立ち並ぶ大寺院である。 俵屋宗達の代表作「風神雷神図屏風」は、国宝指定の寺宝。 建仁二年、鎌倉幕府2代将軍 源頼家が寺域を寄進し、茶祖としても知られる栄西禅師が、京都における臨済宗の拠点として建立した。 創建時、京都では既存宗派の勢力が強大だったため、天台、真言、禅の3宗並立であった。 純粋禅として確立されたのは、宋の禅僧で、鎌倉建長寺開山 蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が住してからである。 室町時代になると、京都五山の第三位に列格され興隆した。 しかし、度重なる火災や応仁の乱の兵火で荒廃し、天正年間に安芸の安国寺恵瓊が、方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築された。

見所

国宝
紙本金地著色風神雷神図屏風 - 俵屋宗達の代表作。複製の屏風および陶板を大書院に展示。(京都国立博物館寄託)
国重要文化財
方丈 - 1599年、安芸の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が安芸安国寺から移築した禅宗方丈。昭和9年の室戸台風で倒壊し、昭和15年に復建。
勅使門 - 平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したといわれる鎌倉時代後期の遺構。 戦乱の矢痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と称される。
一山一寧墨蹟 雪夜作(正和乙卯臘月)
明恵上人筆消息(上覚御坊宛)
宋拓石橋可宣筆三自省 3幅
絹本著色十六羅漢像 16幅 - (京都・奈良国立博物館分割寄託)
紙本墨画竹林七賢図 16幅 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨画花鳥図 8幅 - (京都国立博物館寄託)
紙本淡彩琴棋書画図 10幅 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨画雲竜図 8幅 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨画山水図 8幅 - (京都国立博物館寄託)
観光名所
法堂 - 一重裳階付の禅宗様仏殿建築。1765年、徳川幕府の帰依を受けて建立。仏殿と法堂を兼ね「拈華堂(ねんげどう)」と称される。
双龍図 - 小泉淳筆による法堂の天井画。2002年、創建800年を記念して108畳に及ぶ雲龍図が描かれた。
三門 - 江戸時代末の建物。御所を望む楼閣という意味で「望闕楼(ぼうけつろう)」と称される。大正12年に浜松市の安寧寺から移築。
開山堂 - 古くは興禅護国院といい、開山の栄西禅師の塔所。
鐘楼 - 鴨川の釜ヶ淵に沈んでいたものを栄西がひきあげたと伝わる。(非公開)
浴室 - 1628年建立の湯気で身体を温める蒸し風呂。
大雄苑(だいおうえん) - 白砂と緑苔に巨岩を配した枯山水の方丈前庭。小川治兵衛の作庭。中国の百丈山から名付けられた。
潮音庭(ちょうおんてい) - 方丈裏の大書院と小書院の間にある禅庭で「三連の庭」と称す。石組は渦潮の流れを表す。
○△□乃庭 - 三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を水(○)火(△)地(□)で象徴した。
茶室 東陽坊 - 豊臣秀吉の北野大茶会で、千利休の高弟 東陽坊長盛が造った草庵茶室。
建仁寺垣 - 方丈周囲の竹垣。
平成の茶苑 - 茶祖 栄西が、宋から茶を伝えて800年を記念して植樹栽培された下茶園。近くには茶碑が建つ。

行事

3月15日
涅般会
4月8日
花まつり
4月20日
開山降誕会(四頭茶会) - 茶祖 栄西の誕生日を祝う法要。方丈に栄西の画を本尊とする三幅対を掛け、三具足(香炉・花瓶・燭台)が飾られ、四頭茶会(四頭の礼)が行われる。禅寺の茶礼の古態を伝承している。
5月2日
お茶壷道中 - 八十八夜を期し、お茶壷道中が建仁寺から祗園を練り歩き八坂神社に向かう。
6月5日
開山忌 - 栄西入寂の忌日の法要。法堂で献茶式などが行われる。
7月30日
布薩会(ふさつえ) - 戒律を守ることに厳格であった栄西伝来の法会。
8月18日
頼家忌 - 開基 鎌倉幕府2代将軍 源頼家の忌日法要。
11月5日
達磨忌 - 禅宗始祖 菩提達磨尊者の忌日法要。
12月8日
成道会 - 釈迦が苦行ののち、明星を見て大悟されたことにちなむ法要。

歴史

1202年
鎌倉幕府2代将軍 源頼家が寺域を寄進し、栄西が京都における臨済宗の拠点として建立。土御門天皇の勅願寺となり、年号から寺号を賜った。京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったため、天台、真言、禅の3宗並立であった。
1205年
宋の百丈山を模して諸堂が建立された。
1243~1246年
寛元年間、火災で伽藍を焼失。
1256年
火災で荒廃。
1258年
東福寺開山 円爾弁円(えんにべんえん)が住し境内を復興し、禅を興隆させた。
1259年
宋の禅僧、鎌倉建長寺開山 蘭渓道隆が住して、純粋の禅宗寺院として確立。
1386年
京都五山第三位に列格された。
1397年
火災で焼失。
応仁の乱
兵火で焼失。
1481年
火災で焼失。
1552年
細川晴元一党が火を五条に放つと境内にも類焼し、伽藍の大部分を焼失した。
1573~1592年
天正年間、豊臣秀吉により寺領が寄進され、安芸の安国寺恵瓊が、安芸安国寺から方丈や仏殿を移築し復興をはじめた。
明治初頭
廃仏毀釈、神仏分離により塔頭の統廃合が行われ、境内が半分近く縮小された。
平成26年
開山栄西禅師八百年大遠諱法要が行われる。

撮影後記

 花見小路の最南端にある大寺院です。 祇園界隈の観光地にある名刹の割には、シーズンでも混雑しないので、おすすめです。 また、風神雷神図屏風でも知られていますが、残念ながら原本は京都国立博物館に寄託されています。 それでも、複製の屏風が展示され、素人目には善し悪しなどわからないので必見です。 あと、方丈を拝観しても、法堂の双龍図と秀吉ゆかりの茶室を見忘れやすので、これも必見かな。

更新履歴

2011年11月9日
初版をアップロードしました。
2012年1月22日
ギャラリーに作品を4点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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