龍安寺

龍安寺の石庭

1450年、管領 細川勝元が創建した臨済宗妙心寺の境外塔頭で、世界遺産に登録されている。「龍安寺の石庭」で名高い方丈庭園は、白砂に15個の石を配した簡素な枯山水で、作者、表現意図などは諸説あり、謎が残る。

龍安寺

龍安寺について

基本情報

山号寺号
大雲山龍安寺(だいうんざんりょうあんじ)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺境外塔頭
創建
宝徳二年(1450年)
開山
義天玄承
開基
細川勝元
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり - 石庭拝観者は1時間無料。
交通機関
嵐電竜安寺駅徒歩7分、竜安寺バス停徒歩1分
住所
京都府京都市右京区竜安寺御陵下町13
サイト
龍安寺

概要

衣笠山から朱山の麓に位置する臨済宗妙心寺の境外塔頭で、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。 1450年、室町幕府管領 細川勝元が、徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺5世 義天玄承を開山に招き創建された。 「龍安寺の石庭」で名高い方丈庭園は、大海に見たてた白砂に15個の石を点在させ、禅の境地を表現しているという簡素な枯山水で、国の特別名勝及び史跡に指定されている。 作者、作庭年代、表現意図などは諸説あり、謎が残ることでも知られる。 また、鏡容池を中心とする回遊式庭園は国の名勝。 禅の格言を謎解きに図案化させた「知足のつくばい」の傍らには、秀吉が愛でたと伝わる侘助椿の老樹が景趣を添える。

見所

国特別名勝史跡
方丈庭園 - 「龍安寺の石庭」と称される方丈前庭の枯山水庭園。大海に見たてた白砂に15個の石を5群(5・2・3・2・3の石組)に点在させ、禅の境地を表現しているという簡素な枯山水。遠近法の手法で広く見せている。作者、作庭年代、表現意図などは諸説あり不明。
国名勝
庭園 - 衣笠山や朱山を借景にする鏡容池を中心とする回遊式庭園。円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、徳大寺家山荘の遺構。「おしどり池」とも称された。睡蓮(すいれん)の名所。
国重要文化財
方丈 - 1797年の火災で焼失後、1606年建立の塔頭西源院方丈を移築した。もとは狩野派による71枚の襖絵で彩られていたが、廃仏毀釈の困窮により海外などに散逸した。
勅使門 - 塔頭西源院から移築した。
紙本墨書太平記12冊 - 徳川光圀が借用した。昭和4年の火災で、全13冊のうちの1冊を焼失。(京都国立博物館寄託)
府文化財
絹本著色八幡垂迹曼荼羅図 - 鎌倉時代作。
市文化財
絹本著色細川昭元夫人像 - 織田信長及びお市の方の妹にあたり、天正十年月航宗津の賛がある。(京都国立博物館寄託)
紙本墨画い山倒瓶図 - 狩野元信筆。(京都国立博物館寄託)
観光名所
仏殿 - 昭和56年の再建。(非公開)
庫裡 - 1797年の焼失後に再建された。
山門 - 江戸時代中期の再建。
知足のつくばい - 徳川光圀の寄進といわれる方丈裏庭にある蹲踞(複製)。一見「五・隹・疋・矢」と読めるが中央の四角が「口」として共有され、禅の格言を謎解きに図案化させた「吾唯足知の蹲踞」として有名。秀吉が愛でたと伝わる樹齢400年の侘助椿の老樹が景趣を添える。
茶室 蔵六庵 - 方丈から東庭を隔てた東北隅に龍安寺垣をめぐらせた茶室。(非公開)
西の庭 - 昭和57年に室町時代風に復元された。中央に細川廟があり細川勝元の木像や細川家歴代管領の位牌が安置されている。
桜苑 - 400本の桜が植樹されたさくらの名所。
塔頭 - 西源院、大珠院、霊光院。

歴史

平安時代
この地には円融天皇の御願寺である円融寺があり、鏡容池はその園池だったといわれる。
1147年
左大臣 藤原実能の山荘が営まれ、徳大寺が建立された。
1450年
室町幕府管領 細川勝元が、徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺5世 義天玄承を開山に招き(形式的には、玄詔の師 日峰宗舜を勧請開山とした)妙心寺の塔頭となった。
応仁の乱
東軍総帥であった細川勝元が加担する応仁の兵火で七堂伽藍が焼失。池泉東南には物見櫓が建てられ、周囲には塹壕が掘られていたという。
1488年
細川勝元の子 政元が、東福寺吟龍庵の建物を移築し復興した。
1499年
細川政元が帰依した4世住持 特芳禅傑によって、勝元邸の書院(方丈)、東福寺塔頭の昭堂(仏殿)を移し中興した。この時、石庭が作庭されたともいう。
江戸時代
山内に23もの塔頭があった。
1797年
方丈、仏殿、開山堂、食堂などを焼失。塔頭 西源院の本堂を移築し、龍安寺の方丈とした。
明治維新
廃仏毀釈により塔頭は3院のみ残され、方丈障壁画などの寺宝も散逸した。
昭和29年
石庭が国の特別名勝に指定された。
平成6年
「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録された。

撮影後記

 日本で最も有名な庭園と云えば、この竜安寺の石庭を思い浮かべる方も多いかと思います。 ただ、それは国の名勝(後に特別名勝)に指定されてからで、昔は鏡容池を中心とする池泉回遊式庭園の方が有名だったそうです。 その石庭の傍らには、春になると紅色の糸桜が白川砂を敷き詰めた簡素な枯山水に彩りを添えます。 豊臣秀吉は、石庭ではなく傍らに咲いていた枝垂れ桜を好んだといいます。 当時のさくらは、石庭の西北隅に立っていたようで、その古株跡が残されています。

更新履歴

2012年10月20日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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