三時知恩寺

入江御所

応永年間(1394~1428年)創建の浄土宗尼門跡で、崇光天皇の入江殿を賜ったことから「入江御所」と称する。宮中での六時勤行のうち、早朝・日中・日没の三時を当寺で行うようにとの勅命で、「三時知恩寺」と号す。

三時知恩寺

三時知恩寺について

基本情報

山号寺号
三時山三時知恩寺(さんじちおんじ)
別称
入江御所
宗派
浄土宗
寺格
門跡寺院
創建
1394年~1428年(応永年間)
開山
覚窓性仙尼(性善尼)
開基
見子内親王
本尊
阿弥陀如来
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄今出川駅徒歩10分
住所
京都府京都市上京区上立売町4-1

概要

浄土宗の尼門跡寺院で、「入江御所」と称する。 応永年間(1394~1428年)、後光厳天皇の皇女 見子内親王が、崇光天皇の旧御所で一条西洞院にあった入江殿を仏寺に改めて創建されたのに始まる。 後柏原天皇の御代、宮中での六時勤行(一日六回の念仏読経)のうち、早朝・日中・日没の三時(みとき)を当寺で行うようにとの勅命で、「三時知恩寺」と号された。 明治維新まで摂関家・近衛家が管理し、近衛家からの入寺が慣例になった。 現在の堂宇は天明の大火で焼失後、桃園天皇女御の恭礼門院の御殿を賜り再建されたものである。

見所

国重要文化財
絹本着色近衛予楽院像一幅 附自筆阿弥陀経 - (京都国立博物館寄託)
観光名所
本堂 - 天明の大火後の再建時に、大徳寺にあった学問所を移築したもの。開基の見子内親王が本尊とした善導大師像は、3月14日に御開帳される。
書院 - 桃園天皇女御の恭礼門院の御殿を賜ったもの。長押に北山丸太を用い、一の間、二の間と続き、三の間には円山応挙筆の襖絵がある。
庭園 - 書院前庭の枯山水式庭園で、「蓬莱の庭」と呼ばれる。

歴史

1394~1428年
応永年間、後光厳天皇の皇女 見子内親王が、崇光天皇の旧御所で一条西洞院にあった入江殿を仏寺に改めて創建された。足利義満の娘 覚窓性仙尼(がくそうせいざんに)が入寺し「知恩寺」と号した。
1500~1526年
後柏原天皇の御代、宮中での六時勤行(一日六回の念仏読経)のうち、早朝・日中・日没の三時(みとき)を当寺で行うようにとの勅命で、「三時知恩寺」と改められた。
1557~1586年
正親町天皇の御代、現在地へ移転し、摂関家・近衛家が管理し、以降は近衛家からの入寺が慣例になった。
1708年
宝永の大火で焼失した。
1764年
入江御所の称号が贈られた。
1788年
天明の大火で焼失後、桃園天皇女御の恭礼門院の御殿を賜り再建された。

撮影後記

 同志社大学新町キャンパスの東隣にある門跡寺院の尼寺です。 いつも門が閉じられていて拝観謝絶の雰囲気なので、特別公開していた「第47回京の冬の旅」期間中にお邪魔しました。 「三時知恩寺」というユニークな寺号で、そろそろ小腹も空いてきた昼のおやつ3時に関係があるのかもと思いましたが(笑)、3回という三時(みとき)の意味でした。
 撮影に関しては、当寺の前に訪れた大聖寺のように一切写真撮影禁止ではなく、庭園側は撮影しても構わないそうです。

更新履歴

2014年12月14日
初版をアップロードしました。

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