京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
嵯峨野にある蕉門十哲の一人として知られる俳人 向井去来の閑居跡である。 去来の「落柿舎記」によれば、庭に柿の木40本あり、その柿の実が一夜のうちに殆どおちつくしたのが号の由来という。 松尾芭蕉も晩年に三度訪れて、庵にて「嵯峨日記」を草した。 庭には去来の 「柿主や梢は近きあらし山」や、「嵯峨日記」最尾の句「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」 の句碑などが立っている。
二尊院から常寂光寺に向かう途中にある小庵で、庵の周辺は嵯峨野らしい景観で大好きです。
ただ、定番観光ルートのため観光客は多めですが。
現在の草庵は、去来が没して半世紀後に京都の俳人 井上重厚が再建した地で、去来の草庵の遺構ではありません。
重厚は場所が分からず、「柿ぬしや梢は近きあらし山」の句にちなみ、現在の地を選んだということ。
拾遺都名所図会に「小倉山下、緋の社のうしろ山本町」とあり、庵の西隣にある有智子内親王墓が緋の社であったとも、または臨川寺の辺りや天龍寺の北側ともいわれるようです。
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