上善寺

鞍馬口地蔵

寺町鞍馬口にある浄土宗寺院。寺伝によれば、円仁によって千本今出川に天台密教の道場として創建され、秀吉により現在地に移された。京都六地蔵のひとつ「鞍馬口地蔵」を安置し、毎年夏の地蔵盆では賑わう。

上善寺

上善寺について

基本情報

山号寺号
千松山上善寺(せんしょうざんじょうぜんじ)
宗派
浄土宗
創建
863年(貞観五年)
開山
円仁 - 慈覚大師。
本尊
阿弥陀如来
札所
京都六地蔵巡り 第5番(若狭街道 鞍馬口地蔵)
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
出雲路橋バス停徒歩3分
住所
京都府京都市北区上善寺門前町338

概要

寺町鞍馬口にある浄土宗寺院。 京都六地蔵巡り第5番で、地蔵堂には京都六地蔵のひとつ鞍馬口地蔵(深泥池地蔵)を安置。 平安時代初期、小野篁(おののたかむら)が刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられ、深泥池の畔から当寺に移されたものといわれている。 寺伝によれば、慈覚大師 円仁によって、千本今出川に天台密教の道場として863年に創建されたと伝わる。 その後衰退し、室町文明年間に中興開山の春谷盛信が復興し、「上善寺」と号し、後柏原天皇の勅願寺として栄えた。 豊臣秀吉の都市改造政策により、寺域を千本今出川から現在の寺町鞍馬口に移され、天台真盛宗から浄土宗に改宗した。 毎年夏の地蔵盆では、 国の重要無形民俗文化財に指定された六斎念仏(小山郷六斎念仏)が行われ、京都六地蔵巡りの参拝者で賑わう。

見所

観光名所
本堂
地蔵堂 - 京都六地蔵のひとつ鞍馬口地蔵(深泥池地蔵)を安置。姉子地蔵とも呼ばれる。
鞍馬口地蔵(深泥池地蔵) - 小野篁が刻んだ六体の地蔵の一つと伝えられる。当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間に、深泥池(御菩薩池)の畔に祀られ、さらに当寺に移されたものといわれている。
山門 - 「第一番六地蔵寺」の石標が立つ。
庭園 - 二河白道の庭、釈迦八相の庭、三笑の庭、仏教伝来の庭(二祖対面の庭)がある。
長州人首塚碑 - 禁門の変で、鷹司邸内で新選組に討たれ切腹した長州藩士 入江九一などの首塚が墓地にある。

行事

8月22日~23日
六地蔵めぐり地蔵盆 - 国の重要無形民俗文化財に指定された六斎念仏(小山郷六斎念仏)が行われ、京都六地蔵巡りの参拝者で賑わう。

歴史

853年
小野篁が木幡山に立つ一本桜から六体の地蔵尊を刻み、伏見の大善寺に祀ったと伝わる。
863年
慈覚大師 円仁によって、千本今出川に天台密教の道場として創建されたと伝わる。
1157年
都で疫病が流行し、後白河天皇の勅命で、平清盛は都の出入り口6カ所に六角の地蔵堂を建立した。
中世
その後、衰退。
1469~1487年
文明年間、中興開山の春谷盛信(しゅんこくせいしん)が復興し、「上善寺」と号した。
室町時代
後柏原天皇の勅願寺として栄えた。
1594年
豊臣秀吉の都市改造政策により、寺域を千本今出川から現在の寺町鞍馬口に移された。
江戸時代
13世の肝誉の時、天台真盛宗から浄土宗に改宗した。
1712年
松平越前守が菩提寺と定め、不断念仏を再興した。

撮影後記

 この寺も、豊臣秀吉の都市改造政策によって寺町通沿いに移された寺のひとつです。 寺町寺院の中で最も北に位置し、北区に位置しています。 ただし上記のとおり由緒ある地なので、かつては上京の町組に組み込まれていました。 よって住所も通り名を用いた表記がなされています。
 ちなみに、千本今出川にも山号寺号とも同号の寺院が存在しますが、あちらは元の上善寺があった場所です。 ただし、宗派は移転後に浄土宗に改宗したので両寺は異なります。

更新履歴

2012年7月5日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを西陣・室町・紫野から移動しました。

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