行願寺

革堂

1004年創建の中京区にある天台宗寺院で、「革堂」と通称される。開山の行円上人は、山中で身ごもった牝鹿を射て殺生を悔やみ仏門に入り、常に鹿の革衣を着ていたことから、「革堂」と呼ばれるようになった。

革堂

革堂について

基本情報

山号寺号
霊ゆう(鹿の下に匕)山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)
別称
革堂(こうどう)
宗派
天台宗
創建
1004年(寛弘元年)
開山
行円
本尊
千手観音
札所
西国三十三箇所 19番、洛陽三十三所観音霊場 4番
駐車場
駐車場なし
交通機関
河原町丸太町バス停徒歩3分
住所
京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

概要

1004年創建の中京区にある天台宗寺院で、「革堂」と通称されている。 正式な寺号「行願寺」は、開山上人である行円の願いに由来する。 行円は、山中で身ごもった牝鹿を射て殺生を悔やみ仏門に入り、常に鹿の革衣を着ていたことから「皮聖人」と称され、いつしか寺も「革堂」と呼ばれるようになったと伝わる。 もとは一条油小路付近にあり上京の町堂として親しまれてきたが、焼亡を繰り返し、1708年に現在地に落ち着いた。 江戸時代建立の本堂と鐘楼は、市指定の文化財。 寺宝として、行円着衣の鹿皮衣や、江戸時代に娘を当寺で亡くした両親が奉納した少女の幽霊が描かれた「幽霊絵馬」などを収蔵する。

見所

市文化財
本堂 - 1815年の再建。外陣を吹放ちとし向拝を付けた重厚な本堂。行円自刻といわれる本尊の千手観音像が安置されている。
鐘楼 - 1804年の建立。
観光名所
寿老人神堂 - 「都七福神めぐり」のひとつ。寿老人像は桃山時代の作といわれ、豊臣秀吉が万人快楽のために祀ったといわれる。
愛染堂 - 愛染明王像が安置されている。
妙見堂 - 火難盗難除けの鎮宅霊符神像が安置されている。
一条革堂の石標 - 山門の横に立つ。もと一条油小路上ルに創建されたといわれる。
加茂大明神五輪塔 - 行円は、加茂社の槻木(ケヤキ)で本尊を刻んだといわれる。
宝物館 - 行円着衣の鹿皮衣や、江戸時代に娘を当寺で亡くした両親が奉納した少女の幽霊が描かれた「幽霊絵馬」などを収蔵。

歴史

989年
「日本紀略」によれば、鴨川の氾濫によって一条油小路付近にあった一条北辺堂が倒壊した。
1004年
行円が、一条天皇の勅願により、一条北辺堂跡に創建したと伝わる。
平安時代
焼失と再建を繰り返した。
中世
焼失と再建を繰り返した。
1573~1592年
天正年間、豊臣秀吉の都市改造政策により、寺町通荒神口に移転した。
1708年
宝永の大火で焼失の後、現在地に移された。
1788年
天明の大火で焼失した。
1804~1818年
文化年間、再興された。
1864年
正門が蛤御門の変により焼失した。

撮影後記

 御苑東南側にある寺町寺院です。 門前に「一条かうだう」の石碑が立っていますが、秀吉の寺町移転以前の寺地は、上京の御苑西方にありました。 今でも、革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が名残をとどめています。
 元は俗人であった開山の行円上人は、広く庶民に布教活動し、皮聖(かわのひじり)と呼ばれ、平安時代より庶民の信仰を集めました。 六角堂が下京の町堂であれば、革堂は上京の町堂として庶民の寺として親しまれ、町の非常時には早鐘が連打され、町衆の生活文化や自治活動の中核となる役割を果たしてきたようです。

更新履歴

2012年12月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

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