雲ケ畑

賀茂川源流域の山里

北区北東部の賀茂川源流域に広がる山里で、国の特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオが生息していることで知られる。悲運の惟喬親王が、晩年この地に隠棲し、親王にまつわる遺跡が数多く残る。

雲ケ畑

雲ケ畑について

基本情報

名称
雲ケ畑(くもがはた)
交通機関
北大路駅前から雲ケ畑バス~もくもく号~利用
所在地
京都府京都市北区雲ケ畑 出谷町・中畑町・中津川町

概要

京都市北区北東部の山間地域に位置し、賀茂川の源流域に広がる地域である。 国特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオが生息している。 名称の由来として、出雲氏の作った「出雲ケ畑」集落の「出」が取れたとする説、薬王菩薩が、疫病退散のため植えた薬草のたなびく様子が「紫雲」のようであったという説が今に伝わる。 平安時代前期、皇位継承から遠ざけられた文徳天皇の第一皇子であった惟喬親王が、晩年この地に隠棲し、雲ケ畑の里人に慕われた親王にまつわる遺跡が数多く残る。 また、役行者が創建したと伝わる志明院では、毎年4月29日のシャクナゲが咲く頃には、 山伏たちが般若心経を唱える中、無病息災を祈願し、裸足で火渡り行に参加できる。 毎年8月24日には、京都市の無形民俗文化財に登録されている「雲ケ畑松上げ」が行われる。

見所

国特別天然記念物
オオサンショウウオ - 賀茂川上流域に生息する両生類で、雨の日には川近くの道路上をはっていることもあるという。
市天然記念物
岩屋山志明院の岩峰植生 - 貧栄養の土壌でも育成できるホンシャクナゲ、ヒノキ、ゴヨウマツ、ヒカゲツツジなどの植物で構成されている。特に春の石楠花林が知られる。
観光名所
志明院 - 鴨川水源地に佇む修験道当山派の単立寺院。役行者が創建し、空海が再興したと伝わる。毎年4月29日のシャクナゲが咲く頃には、 山伏たちが般若心経を唱える中、無病息災を祈願し、裸足で火渡り行に参加できる。
惟喬神社 - 悲運の惟喬親王を祭神とする。親王が寵愛した雌鳥が遊猟中にこの地で病死し、ここに埋葬されたと伝わることから「雌鳥社」とも呼ばれる。旧出谷村の産土神。
厳島神社 - 中畑村と中津川村の産土神で延喜式内社とされる。天津岩門別稚姫を祭神とし、水源地を護る神として信仰された。かつては弁財天と称されていた。裏山には、約5mの二つの石門岩が祀られている。
高雲寺 - 臨済宗永源寺派。惟喬親王の晩年の隠棲地「高雲御所」を親王が落飾した際に寺院に改めたと伝わる。当初は真言宗寺院として栄え、江戸文政年間に近江国永源寺の末寺となった。
福蔵院 - 792年、最澄の弟子の空忍が創建した比叡山三千坊のひとつ。豊臣秀吉の守護仏とされる十一面観音を安置する観音堂や、後桜町天皇が下賜されたといわれる桜がある。
雲ケ畑林業総合センター - 雲ケ畑の林業や地域情報を発信する拠点として活用されている。林業体験や季節のイベントも随時開催される。
桟敷ケ岳 - 北区の最高峰(895.8m)で、賀茂川の水源地。惟喬親王が山頂より京の都をしのんで眺めるため桟敷を建てたことに由来すると伝わる。山頂付近の尾根道から京都市内が一望できる。

行事

4月29日
志明院大祭(石楠花祭) - 山伏姿の行者らが、錫杖を手に般若心経を唱える中、住職により柴灯大護摩に護摩木が投じられる。無病息災を祈願し、残り炭がくすぶる上を裸足で火渡り行に参加できる。
8月24日
雲ケ畑松上げ - 出谷町の福蔵院と中畑町の高雲寺で行われる愛宕信仰の献火行事で、京都市の無形民俗文化財。山の上へ資材を運び櫓を組み、夜になって文字の形にした松明に点火する。文字は毎年異なったものが選ばれ、点火まで秘密裏に行われる。近隣地域の柱松行事とは異なった内容形態である。

歴史

奈良時代
丹波国桑田郡山国郷に属し、平安遷都に伴う大内裏造営の木材を供給する御杣料地として定められた。
810年~824年
弘仁年間、山城国に編入された。
平安時代前期
皇位継承から遠ざけられた文徳天皇の第一皇子であった惟喬親王が、晩年にこの地に隠棲し、「高雲御所」と称せられたと伝わる。
中近世
主殿寮(内裏における消耗品の管理供給)、仙洞御料(上皇の所領地)として、薪炭や鮎、端午の節句には菖蒲を献上する「菖蒲役」を務めていた。
明治7年
愛宕郡の出谷村、中畑村、中津川村の三村合併して愛宕郡雲ケ畑村となった。
明治23年
十三石山地区が上賀茂村へ割譲された。
明治中期~大正
「御猟場」が設けられ、皇室とのかかわりを保ち続けた。
昭和24年
京都市上京区に編入された。
昭和30年
京都市北区に区分された。

撮影後記

 若狭国へ至るかつての鯖街道の経由地として賀茂川に沿うように雲ケ畑街道が蛇行し、沿道に昔ながらの民家が点在しています。 ただ、沿道に郵便局も交番も商店もないため少子高齢化が急激に進み、昨年には小学校も廃校になりました。 京都市の山間地域でも、特に覇気のない印象を感じます。
 また、雲ケ畑は賀茂川の水源地でもあります。 この地が汚染されると、下流の京都御所をはじめ京都の街に影響が及ぶため、生活排水をきれいに保つことは無論、昭和30年代までは、死者の埋葬に関しても、持越峠を越えて真弓(桂川水系の清滝川)で埋葬の段取りを済ませていたそうです。

更新履歴

2013年6月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛北から移動しました。

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