伏見

酒造会社の酒蔵風景

伏見区の中心地区で、伏見港と高瀬川の整備によって大坂と京を結ぶ水運の要衝となって発展した。「伏水」とも表記された地下水に恵まれた地で、月桂冠をはじめ松本酒造や黄桜などの酒造会社の酒蔵が建ち並んでいる。

伏見

伏見について

基本情報

名称
伏見(ふしみ)
交通機関
京阪本線、近鉄京都線利用
所在地
京都府京都市伏見区の旧伏見市範囲と桃山及び横大路の一部
サイト
伏見観光協会

概要

伏見区の中心に位置する地区で、旧紀伊郡伏見町に相当する。 豊臣秀吉の伏見城築城の建築資材を運ぶため造られた内陸の伏見港が、伏見発展の礎となった。 徳川家康が伏見城に入城し開幕すると、日本初の銀座を伏見両替町に開き、角倉了以が京都から伏見まで高瀬川を開削によって、大坂と京を結ぶ水運の要衝となって発展していく。 問屋、遊廓などが築かれ、井原西鶴、坂本龍馬などの遊興の地となり、明治維新では伏見奉行所一帯は鳥羽・伏見の戦いの激戦地となった。 近世初期まで「伏水」とも表記された豊かな地下水に恵まれた土地で、月桂冠をはじめ松本酒造、黄桜、宝酒造などの酒造会社の酒蔵が建ち並んでいる。

見所

国登録文化財
松本酒造万暁院 - 大正時代から資材を調達し昭和29年頃に竣工した木造平屋建建築の迎賓館。
松本酒造正門 - 建仁寺塔頭正傳院にあった江戸時代の四脚門を近世に移築。
松本酒造酒蔵ホール - 大正13年の建築。(住所は横大路三栖大黒町)
松本酒造煙突 - 明治後期の建築。高さ18メートル、イギリス積煉瓦造。(住所は横大路三栖大黒町)
松本酒造大黒蔵 - 大正13年の建築。(住所は横大路三栖大黒町)
松本酒造吟醸酒蔵 - 大正時代の建築。(住所は横大路三栖大黒町)
松本酒造事務所 - 大正時代の建築。(住所は横大路三栖大黒町)
松本酒造煉瓦倉庫 - 明治後期の建築。(住所は横大路三栖大黒町)
市文化財
西養寺本堂 - 浄土真宗本願寺派に属する寺である。1632年に西本願寺より本仏と寺号を下賜され創建された。本堂は1693年の上棟で、鳥羽伏見の戦いで類焼を免れたため、真宗の一般寺院としては市内最古の建築で市指定有形文化財。
近代化産業遺産
月桂冠大倉記念館 - 酒造会社「月桂冠」発祥地に建つ博物館で、伏見の酒造りと日本酒の歴史文化を紹介している。創業は酒業界の中でも古く、1637年に遡る。濠川の柳並木越しの酒蔵風景は、伏見を代表する景観となっている。
月桂冠旧本社(伏見夢百衆) - 平成5年まで月桂冠本店として使用していた大正8年建造の歴史的建築物。現在は、伏見観光協会「おくつろぎ処・おみやげ処・あんない処・伏見夢百衆」となっている。
月桂冠昭和蔵 - 昭和2年に紀州藩伏見屋敷跡の敷地の一角に建造された。現在は製造本部の事務所となっている。
旧大倉酒造研究所 - 11代当主大倉恒吉が、酒造りに科学的な管理技術を取り入れる必要を感じ、明治42年に建造した。2年後、業界初となる防腐剤を使わないびん詰酒の商品化に成功した。
松本酒造酒蔵 - 1791年創業の酒造会社「松本酒造」の仕込蔵、貯蔵蔵。大正11年に新高瀬川西岸の現在地に酒造場を増設した。酒蔵と煉瓦建造物の倉庫と煙突、その前景の菜の花畑は時代劇の撮影地となっている。
観光名所
御香宮神社 - 伏見の産土神で、安産の神として信仰が篤い。境内には名水百選の「御香水」が湧き、万病平癒に効能があるとして知られる。社殿は桃山期の特色を残し、表門は伏見城の遺構。また、小堀遠州作とされる石庭がある。
金札宮 - 750年の創建と伝わる伏見で最も古い神社のひとつである。旧久米村の産土神として崇敬され、境内には市の天然記念物に指定されているクロガネモチの御神木が立つ。また、観阿弥の謡曲「金札」の縁起となっている。
長建寺 - 中書島にある真言宗醍醐派の寺で、「島の弁天さん」として有名。1699年、伏見奉行 建部政宇が、衰退した伏見の復興のために中書島を開拓し弁財天を祀り、一帯に歓楽街を築いたことで、賑わいを取り戻した。
墨染寺 - 墨染にある日蓮宗寺院で、清和天皇の勅創寺を、天正年間に日秀が再興し、現在地へ移転した。「桜寺」と称され、境内には上野岑雄が藤原基経の死を悼み詠んだ古今集の歌にちなむ「墨染桜」が植えられている。
欣浄寺 - 鎌倉時代、道元によって開創されたと伝わる曹洞宗寺院。本尊の木造毘廬遮那仏坐像は高さ5.3mで、「伏見の大仏」と呼ばれている。また当地は、小野小町「百夜通い」伝説に登場する深草少将の屋敷跡とされている。
本教寺 - 大手筋通に建つ1594年創建の日蓮宗寺院で、「大手筋の妙見さん」として知られる。督姫が池田輝政に嫁がれるにあたり、祈願所として現在地に移された。境内には督姫が秀吉から贈られた牡丹が植えられている。
大黒寺 - 「薩摩寺」とも呼ばれる真言宗東寺派の寺で、1615年、薩摩藩主 島津家久は、薩摩藩の祈祷所にした。本堂には空海が刻んだとされる秘仏大黒天像が安置され、60年に一度開帳される。境内には薩摩藩士たちの墓がある。
源空寺 - 浄土宗寺院である。1195年、法然が忍空に請われて木幡の里人に説法をし、法然は「張貫の御影」を作り忍空に与え念仏道場としたのが起源と伝わる。その後、1612年に伏見城の一宇を寄進され当地に移された。
西岸寺 - 1590年に創建された下油掛町にある浄土宗の寺で、「油懸地蔵(あぶらかけじぞう)」で知られる。山崎の油商人が地蔵尊に残油を掛け商売繁盛した寺伝から、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いが叶うといわれ黒光りしている。
寺田屋 - 伏見の船宿寺田屋は、幕末に起きた2事件(島津久光によって鎮撫された寺田屋騒動と坂本龍馬襲撃事件)「寺田屋事件」の舞台として高名である。鳥羽伏見の戦で焼失し、現在の旅籠は明治期に再建されたものである。
キザクラカッパカントリー(黄桜記念館) - 酒造会社「黄桜」の本店蔵を改装した記念館。酒造りの工程を紹介し、おなじみのカッパのキャラクター原画が展示されている。京都で初めての地ビールレストランも併設されている。
大倉家本宅 - 創業の地に建てられた1828年(文政11年)建造の町屋。鳥羽伏見の戦で羅災を免れ、市内最大規模に属する町屋建築である。
撞木町遊郭跡の碑 - 交通の要衝に位置する撞木町は人々が往来し、遊廓、芝居小屋、土産物屋が軒を連ねる遊興の地であった。井原西鶴「好色一代男」で入口が塞がれていることが言及されており、大石内蔵助も南門から入ったという。
銀座発祥の地の碑(大手筋商店街) - 徳川家康が1601年に日本初の銀座を開き、大黒常是が通用銀の鋳造を開始した。江戸時代に両替商が軒を連ねていた大手筋商店街には、伏見ゆかりの人物をモチーフにしたからくり時計がある。
鳥羽伏見の戦い弾痕 - 幕府軍が立て籠もった伏見奉行所周辺は激戦地となり焼け野原となった。類焼を免れた料亭「魚三桜」の表格子には、当時の弾痕が残っている。
市電発祥の地の碑 - 岡崎で開かれた内国勧業博覧会への客輸送のため、明治28年に伏見線の下油掛(後の京橋)と七条停車場間に日本初の路面電車(チンチン電車)が開通した。京都市電伏見線は昭和45年に市バスに転換された。
伏見奉行所跡の碑 - 江戸幕府の遠国奉行で、西国大名の監視なども司った。水野忠貞が初代奉行、小堀遠州が清水谷から奉行所を移転。鳥羽伏見の戦で新撰組が薩長軍と激戦を交わした。終戦まで陸軍工兵16大隊敷地で、戦後は桃陵団地となった。
宇治川派流(濠川) - 伏見城築城の際、宇治川から引き込み外濠として、大坂から京に入る玄関口として三十石船が発着し、問屋、宿屋、酒蔵が建てられ賑わった。現在、十石舟と三十石船が冬季以外運航されている。
伏見みなと広場 - 水害に悩まされた伏見は、大正から昭和にかけて伏見新堤を築堤し、濠川と宇治川の舟運連絡を存続するために三栖閘門が築造された。広場には三栖開門資料館がある。
伏見港公園 - 伏見港は豊臣秀吉の伏見城築城の建築資材を運ぶため、宇治川の流路改修工事により造られた内陸の河川港で伏見発展の礎となった。公園内には復元された三十石船がある。(住所は桃山町金井戸島)

歴史

750年
金札宮が創建されたと伝わる。
862年
御香宮神社が清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝わる。
平安時代初期
大黒寺が開創されたと伝わる。
1230~1233年
寛喜二年~天福元年、道元が欣浄寺を開創したと伝わる。
1573~1591年
天正年間、墨染寺が再興され現在地へ移転した。
1601年
徳川家康が日本初の銀座を両替町に開き、大黒常是が通用銀の鋳造を開始した。
1612年
源空寺が現在地に移転した。
1613年
角倉了以が京都二条から伏見まで高瀬川を開削した。
1614年
本教寺が現在地に移転した。
1619年
伏見城が廃城となり、伏見は衰退していった。
1620年
伏見奉行所が設置された。
1634年
酒造制限令が出された。
1637年
月桂冠初代 大倉治右衛門が、清酒の醸造と販売を始めた。
1657年
酒造株が設定された。
1673年
寒造り以外の醸造が禁止された。
1698年
京都の地酒保護令で、伏見酒の京都への移入が途絶した。
1699年
伏見の復興のために中書島を開拓し、長建寺が創建された。
1791年
松本酒造初代 松本治兵衛が、東山区で清酒の醸造と販売を始めた。
1862年
薩摩藩急進派が尊王派藩士と斬り合う寺田屋騒動が起きた。
1864年
宝酒造が焼酎の製造を始めた。
1866年
寺田屋で坂本龍馬襲撃事件が起きた。
明治元年
鳥羽・伏見の戦いで伏見奉行所一帯が焦土と化した。
明治12年
紀伊郡伏見区役所が設置され、伏水、伏見の町名が「伏見」に統一された。
明治22年
市町村制施行で、紀伊郡伏見町となった。
明治28年
京都電鉄(京都市電)伏見線、奈良鉄道(現JR)京都~伏見間が開通した。伏見インクラインが竣工され琵琶湖疏水が伏見まで貫流した。
大正2年
京阪電鉄の中書島~宇治間が開通した。
大正11年
松本酒造が現在地に酒造場を増設した。
大正14年
澤屋(松本酒造)の分家として黄桜が創業した。
昭和4年
紀伊郡伏見町が伏見市となった。
昭和6年
f伏見市が京都市に吸収され、伏見区が設置された。
昭和62年
大倉酒造が「月桂冠」に社名変更し、大倉記念館が一般公開された。

撮影後記

 ここで紹介している伏見とは、酒造会社が集まっている旧伏見で、深草や桃山を冠称している伏見区の旧深草町や旧堀内村は含んでいません。 北に伏見稲荷大社が鎮座する深草、東に伏見城があった桃山、西に院政の舞台となって離宮が造営された鳥羽、南は宇治川が西流しています。 なお例外として、松本酒造がある横大路三栖大黒町、伏見港公園がある桃山町金井戸島の伏見以外の一部地区も紹介しています。

更新履歴

2015年10月30日
初版をアップロードしました。

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