離宮八幡宮

大山崎の油座

嵯峨天皇の離宮跡に鎮座し、石清水八幡宮の元宮であった。貞観年間、時の神官がエゴマ油の製油を開始し、日本での製油の始まりとされる。専売特許を持つ大山崎油座として栄えたが、菜種油の普及で近世以降衰退した。

離宮八幡宮

離宮八幡宮について

基本情報

社名
離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)
創建
859年(貞観元年)
主祭神
応神天皇、神功皇后、酒解大神、比売三神
旧社格
府社
例祭
9月15日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
JR山崎駅徒歩1分、阪急大山崎駅徒歩3分
住所
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
サイト
離宮八幡宮

概要

大山崎町にある859年創建の神社で、石清水八幡宮の元宮として祀られたのが起源と伝わる。 嵯峨天皇の行宮「河陽宮」の跡地に建てられたため、後に「離宮八幡宮」と改称された。 平安時代の貞観年間、時の神官が搾油器を発明し、荏胡麻(えごま)油の製油を開始し、朝廷より「油祖」の名を賜り、日本での製油の始まりとされる。 諸国の油商人は離宮八幡宮の許状無しには油を扱うことはできず、油座として専売特許を持ち大いに栄えた。 しかし、織田信長の楽市楽座、さらに菜種油の普及で近世以降衰退していった。

見所

国重要文化財
大山崎離宮八幡宮文書 - 室町時代から江戸時代の古文書24巻
町文化財
惣門 - 江戸時代の建立。幕末の禁門の変の兵火を免れた。
東門 - 江戸時代の建立。幕末の禁門の変の兵火を免れた。
塔心礎(かしき石) - 嵯峨天皇の河陽宮のあった頃、南を流れる淀川に山崎橋が架かり、この礎石は、河岸にあった相応寺の塔心礎であったといわれる。
観光名所
本殿 - 明治12年の再建。
拝殿 - 明治12年の再建。
神領境標石 - 室町時代の標石2基が現存。元は境域の東西南北に立てられていたものと考えられる。
祭具庫 - 油絞り具や絵巻物を収蔵。
末社 - 武内社、天照皇太社、蛭子社、鹿島社、気比宮、高天宮社、小禅師宮、腰掛天神社、高良社。

祭事

元旦
歳旦祭
1月15日
左義長(どんど祭) - 正月の飾り物やお守りなどを焚き上げる。
4月3日
春季例祭(日使頭祭) - 当宮より男山八幡宮への八幡神遷幸の儀式を模ったもの。
9月15日
秋期例大祭(油座まつり)
大晦日
年越祭 - 甘酒や餅の接待。

歴史

859年
南都大安寺の僧 行教が、清和天皇の命で、宇佐八幡から石清水八幡宮へ勧請した帰路、ここ山崎津で神霊を見たとされ、石清水八幡宮の元宮として祀られたのが起源と伝わる。桓武天皇や嵯峨天皇の行宮「河陽宮」の跡地に建てられたため、後に「離宮八幡宮」と改称された。
859年~877年
貞観年間、時の神官が「長木」という搾油器を発明し、荏胡麻油の製油を開始した。
平安~室町時代
朝廷より「油祖」の名を賜り、油座として油の専売特許を持ち栄えた。
1469~1487年
文明年間、社殿が建立された。
江戸時代
広大な神領を有し「西の日光」と称えられ、石清水八幡宮との間に呼称問題と支配関係についての対立が起こった。
1635年
勝竜寺城城主 永井直清により社殿が建立された。
近世
織田信長の楽市楽座、さらに菜種油の普及で徐々に衰退していった。
1864年
「禁門の変」で長州藩駐屯所となり、兵火で広大な神領は焼け野原となった。
明治維新
神仏分離令により境内が上知された。
明治9年
東海道本線開通により境内が大幅に狭められた。
明治12年
社殿が再興された。

撮影後記

 JR京都線の山崎駅前に鎮座する神社です。 中世には日本最大規模の油の専売特許を持っていた「大山崎の油座」の中心地で、日本初の製油所といっていいのかもしれません。 本殿前に油の缶が奉納され、日清オイリオをはじめとする製油業者の崇敬を集めています。
 荏胡麻はシソ科の一年草で、種子には四割弱の油を含み、これを搾りとったのが乾性油の荏胡麻油になります。 現在では食用油としても用いられますが、一般的な用途としては燈明油として用いられました。 搾りかすを麻幹に塗り、乾燥したものを室内の壁に穴をあけて差し込み点火すると、一時間ほど灯りが持続したそうです。

更新履歴

2012年12月21日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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