徳林庵

山科地蔵

1550年、南禅寺第260世雲英禅師が、人康親王の菩提を弔うために創建した臨済宗寺院。旧東海道に面して建つ六角堂には、小野篁が刻んだとされる六体の地蔵の一つが安置され、「山科地蔵」として信仰されている。

山科地蔵徳林庵

山科地蔵徳林庵について

基本情報

山号寺号
柳谷山徳林庵(りゅうこくざんとくりんあん)
別称
山科地蔵、山科廻地蔵、四ノ宮地蔵
宗派
臨済宗南禅寺派
創建
1550年(天文十九年)
開山
雲英 - 南禅寺第260世。
開基
雲英
本尊
地蔵菩薩
札所
京都六地蔵めぐり 第6番(東海道 山科地蔵)
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪四ノ宮駅徒歩5分
住所
京都府京都市山科区四ノ宮泉水町16-1

概要

平安時代、琵琶の名手だった仁明天皇第四皇子 四之宮人康親王が両眼失明され、此の地に山科御所を営み隠棲し、1550年、末葉の南禅寺第260世 雲英正怡禅師が、人康親王の菩提を弔うために現在地の北に創建した臨済宗寺院。 旧東海道に面して建つ六角堂に、平安時代初期、小野篁(おののたかむら)が刻んだとされる六体の地蔵の一つが安置され、「山科地蔵」として知られる。 平安時代末に都で疫病が流行し、後白河天皇の勅命で、平清盛は都の出入り口6カ所に六角の地蔵堂を建立し、以後、山科地蔵は東海道の守護仏となっている。

見所

観光名所
地蔵堂 - 六角堂に安置される地蔵菩薩像は、852年、小野篁が木幡山に立つ一本桜から六体の地蔵尊を刻んだもののひとつとされる。また人康親王の化身とも伝えられる。
わらべ地蔵 - 地蔵堂裏に並ぶ童顔の六地蔵。
荷馬の井戸、飛脚の釜 - 「定飛脚 宰領中 文政四年巳年六月吉日」と刻まれている。「宰領」とは、荷物の運搬や旅行者の取り締まりのこと。
人康親王供養塔 - 室町時代の建立。北側の十禅寺に墓、諸羽神社境内は親王の山荘跡とされる。

行事

毎月24日
地蔵尊縁日祈祷
8月23~24日
六地蔵めぐり地蔵盆 - 非公開の閻魔天が開帳される。

歴史

852年
小野篁が木幡山に立つ一本桜から六体の地蔵尊を刻み、伏見の大善寺に祀ったと伝わる。
859年
人康親王が両眼失明され、此の地に山科御所を営み隠棲した。
1157年
都で疫病が流行し、後白河天皇の勅命で、平清盛は都の出入り口6カ所に六角の地蔵堂を建立した。
1550年
人康親王の菩提を弔うために、末葉の南禅寺第260世 雲英が創建した。

撮影後記

 京都では8月22日・23日の地蔵盆に、都の入口六ヵ所にある地蔵尊を巡拝する「六地蔵巡り」が行われています。 各寺に異なる6色のお札を用意されています。 このお札を家に持って帰って玄関に吊るすと、一年の厄病退散、家内安全の護符となります。 さらに初盆には水塔婆供養をし、3年間巡拝すれば六道の苦を免れることができると伝えられています。

大善寺(奈良街道 伏見六地蔵)→恋塚浄禅寺(西国街道 鳥羽地蔵)→地蔵寺(丹波街道 桂地蔵)→源光寺(周山街道 常盤地蔵)→上善寺(若狭街道 鞍馬口地蔵)→徳林庵(東海道 山科地蔵)

更新履歴

2015年1月13日
初版をアップロードしました。

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