京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
「みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」の百人一首で詠まれた瓶原(みかのはら)を一望できる山腹に建っています。
本堂へのアプローチは狭路と急坂が続くため観光バスのツアーに組み込まれることはないようで、同じ木津川市にある当尾の寺よりは落ち着いています。
海住山寺(かいじゅうせんじ)は、聖武天皇が奈良(平城京)から恭仁京、難波京、紫香楽京などと都を次々遷都していた頃に創建された古刹。
眼下には、その恭仁京跡が見えますが、ここに嘗て日本の都が置かれようとしたとは思えない程、長閑な雰囲気のする場所です。
奈良の都から、ここ南山城の相楽の地が選ばれたのは、橘諸兄の本拠地であったことが一因だそうです。
一応、行政上は京都のお寺なので京都紀行に掲載しましたが、南都の匂いがするお寺さんであります。
海とは無縁の場所に建っているのに、なぜ「海住山寺」か。
パンフレットによれば、瓶原の平野と、彼方に連なる山並みが、あたかも南海の洋上に浮かぶ補陀洛山のごとく見えるからだそう。
とりわけ、うす曇りの日は、そのように見えるようで、ギャラリーに掲載した「梅咲く瓶原」がその雰囲気に近いかな。
山号を補陀洛山(ふだらくさん)とする真言宗智山派の古刹。 開山は良弁僧正(ろうべんそうじょう)、中興の祖は貞慶、本尊は十一面観音。 仏塔古寺十八尊霊場第3番札所である。 かつて恭仁京があった瓶原(みかのはら)を見下ろす三上山(海住山)中腹に位置する。 鎌倉時代建立の五重塔は国宝に指定されている。 寺伝によれば、聖武天皇が盧舎那仏(東大寺の大仏)建立の無事を祈るために735年、 東大寺の初代別当であった良弁を開山として藤尾山観音寺として創建したと伝わる。 1137年には全山が焼失した。 1208年、法相宗の高僧であった笠置寺の貞慶(解脱上人)によって廃址だった当寺に草庵を建て「補陀洛山 海住山寺」に改めた。 その後、弟子の覚真が衣鉢をついで五重塔など寺観の整備に尽力した。 近世まで興福寺(法相宗本山)の末寺で住房58を誇った。 現在は真言宗に属している。
住所: 京都府 木津川市加茂町例幣海住山20
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