実相院

床緑と床紅葉

1229年創建の岩倉にある単立寺院。「岩倉門跡」と称され、皇室や摂関家が住持に就いた。黒床に映り込む楓は、新緑の季節は「床緑(床みどり)」、紅葉の季節は「床紅葉(床もみじ)」と称され人気が高い。

実相院

実相院について

基本情報

山号寺号
岩倉山實相院(じっそういん)
別称
岩倉実相院門跡、岩倉御殿
宗派
単立寺院 - 元は天台宗寺門派。
寺格
門跡寺院
創建
1229年(寛喜元年)
開山
静基(じょうき)
開基
静基(じょうき)
本尊
不動明王
札所
近畿三十六不動尊16番
駐車場
無料駐車場あり - 紅葉期は公共交通機関利用が望ましい。
交通機関
岩倉実相院バス停すぐ、叡電岩倉駅徒歩20分
住所
京都府京都市左京区岩倉上蔵町121
サイト
実相院

概要

1229年創建の岩倉にある単立寺院。 関白近衛基道の孫にあたる静基僧正によって、初め紫野に創建された。 応仁の乱の兵火を逃れるため、岩倉の地に移転し、皇室や摂関家が住持に就き、「岩倉門跡」と称された。 客殿、御車寄、四脚門は、大宮御所の建物を下賜されたものである。 幕末には、岩倉具視が一時ここに借り住み、密談を記録した日記が残されている。 滝の間の黒光りする床に映り込む楓は、新緑の季節は「床緑(床みどり)」、紅葉の季節は「床紅葉(床もみじ)」と称され人気が高い。

見所

国重要文化財
仮名文字遣 - 連歌師の里村紹巴が校訂した本を、三条西公条が書写し、それを後陽成天皇が宸翰されたもの
観光名所
本堂(客殿) - 享保年間に移築した大宮御所の遺構。客殿の黒光りする床に楓が映りこむ様は「床緑」「床紅葉」と称される。
御車寄せ -享保年間に移築した大宮御所の遺構。
庭園 - 池泉回遊式庭園と枯山水の石庭がある。
本尊 - 鎌倉時代作の不動明王。
障壁画 - 京狩野四代目の狩野永敬によるもの。

行事

年間
年間を通して特別公開、特別展示、コンサートなど数多い
11月中下旬
紅葉・石庭ライトアップ

歴史

1229年
静基により、北区紫野に創建された。
その後、京都御所の近くに移った。
応仁の乱
兵火を逃れるため、現在の岩倉の地に移転した。
江戸寛永年間
足利義昭の孫である義尊(ぎそん)が入寺し、義尊の母である古市胤子(ふるいちたねこ)が、後陽成天皇との間に道晃親王(聖護院門主)をもうけたため、皇室と徳川家光より援助を受けて復興した。
以後、皇孫で継承され、「岩倉門跡」と称された。
江戸享保年間
義周法親王(ぎしゅうほうしんのう)が門跡のとき、京都御所から大宮御所の一部が下賜され、四脚門、御車寄、客殿となった。
江戸時代末期
岩倉具視が、ここを借りて住んでいた。
明治時代
義尊の母親である法誓院三位局が、北岩倉に創建した日蓮宗證光寺が廃寺となり、実相院に合併された。

撮影後記

 「床もみじ」が有名なためか、紅葉シーズンはそれなりに人気がありますが、他の時期は静かな寺院です。 普通、寺院の床は磨かれているので、「床みどり」「床もみじ」が見られる寺院は他にも多いと思います。 ただ、意図的に屈んだり、下を見ないので、気が付かないだけです。
 カエデ以外にも、狩野派の画家たちの描いた襖絵が、襖や戸、障壁画として使われていて必見です。 玄関の衝立の唐獅子図は狩野探幽の筆だそうです。 また、古くなった堂宇の修繕費を捻出する経営努力をしているためか、さまざまな特別展示などのイベントがよく開かれるので、行かれる方は事前にホームページをチェックするとよいでしょう。
 なお、「床緑」「床紅葉」は撮影禁止ということで撮影していません。 こっそり撮っていた人がいたのですが、どこかに監視カメラがあるようで、寺務所からマイクで注意されていました。 担当の方も、お仕事大変です。 ということなので、見たい方は公式ホームページで、行かれる方は肉眼で記憶に留めてください。 床みどりは曇天時、床もみじは好天時が美しいそうですよ。

更新履歴

2011年11月29日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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