熊野若王子神社

京都三熊野

永観堂の北東に鎮座し、後白河法皇が熊野権現を勧請し創建された京都三熊野のひとつ。社名の若王子は、天照大神の別称「若一王子」に因む。若王子山頂には、新島襄と妻の新島八重、徳富蘇峰らの墓がある。

熊野若王子神社

熊野若王子神社について

基本情報

社名
熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)
別称
若王子神社
創建
1160年(永暦元年)
主祭神
国之常立神、伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)、天照大神(若一王子)
旧社格
村社
例祭
7月10日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
永観堂前バス停徒歩5分、東天王町バス停徒歩5分
住所
京都府京都市左京区若王子町2

概要

永観堂の北東に鎮座し、京都三熊野のひとつ。 社名の若王子は、天照大神の別称「若一王子」に因んで名付けられた。 1160年、後白河法皇が、熊野権現本宮の祭神を勧請し創建された。 室町時代、足利将軍家の信仰を集めると共に、花見の名所としても知られ、足利義政により花見の宴が催された。 応仁の乱により荒廃したが、豊臣秀吉の寄進によって再興された。 江戸時代は、聖護院門跡に属し、現在の社殿は、昭和54年に一社相殿に改築されたもの。   背後の若王子山頂には、同志社大学創立者である新島襄らクリスチャンの墓がある。

見所

観光名所
本社 - 明治の修築により、南面して本宮、新宮、那智、若宮があっが、昭和54年に一社相殿になった。
末社 - 夷川恵比須社、三解社、山神社、滝宮社、福壽稲荷社。
若王子山墓地(同志社墓地) - 若王子山頂に新島襄とその妻 新島八重や徳富蘇峰の墓がある。
滝 - 境内東側には瀑布があり、奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉が美しい。
桜花苑 - 裏山にある桜苑からは京都市内が一望でき、110本の陽光桜(ようこうざくら)が植えられている。

祭事

1月1日
元旦祭
1月10日
初恵比須祭
1月15日
焼納祭
4月第一日曜
桜花祭 - 裏山の桜花苑で大正琴を観賞することができ、弁当なども販売する。
7月10日
例大祭
12月31日
除夜祭

歴史

863年
真紹が禅林寺(永観堂)を創建したときの鎮守社としたのが由来ともいわれる。
1160年
後白河法皇が、熊野権現本宮の祭神を勧請し、若王子の鎮守社として創建された。
1465年
花見の名所として知られ、足利義政による花見の宴が催された。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
桃山時代
豊臣秀吉の寄進によって再興され、社殿が整備された。
江戸時代
聖護院門跡院家として、正東山若王子乗々院と号した。
明治維新
神仏分離で、聖護院より離れた。
昭和54年
本宮、新宮、那智、若宮の四棟が一社相殿に改築された。

撮影後記

 哲学の道の入口にある神社で、いつも賑わっています。 神社の近くから登り口があり、山道をひたすらトコトコ登っていくと若王子神社墓地と同志社墓地にたどり着きます。 同志社墓地には、新島襄をはじめ、来年の大河ドラマの主人公である妻の新島八重や八重の兄の山本覚馬、門人で「國民新聞」創刊と平民主義を唱えた徳富蘇峰たちが眠っています。 なぜに、こんな辺鄙な場所に葬られたのでしょうか。

更新履歴

2012年7月17日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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