延暦寺東塔

比叡山の核心地区

東塔(とうどう)は、最澄が延暦寺を開いた一帯である。延暦寺全体の本堂にあたる国宝・根本中堂をはじめ、各宗各派の宗祖を祀っている大講堂など重要な堂宇が集まっている比叡山延暦寺の中心地区である。

延暦寺東塔

延暦寺について

基本情報

山号寺号
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)
別称
比叡山、叡山(えいざん)
宗派
天台宗
寺格
総本山
創建
788年(延暦七年)
開山
最澄(さいちょう) - 伝教大師。
本尊
薬師如来
札所
西国薬師四十九霊場49番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
延暦寺バスセンターすぐ
住所
滋賀県 大津市坂本本町(※撮影後記参照)
サイト
比叡山延暦寺

概要

東塔(とうどう)は、最澄が延暦寺を最初に開いた一帯である。 延暦寺全体の本堂にあたる国宝・根本中堂をはじめ、各宗各派の宗祖を祀っている大講堂など重要な堂宇が集まっている比叡山延暦寺の中心地区である。 延暦寺は、1200年の不滅の法灯が続く最澄により開かれた天台宗総本山。 寺号よりも山号の比叡山、また叡山と呼ばれることも多く、かつては北嶺とも称された。 また、日蓮宗の日蓮、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、時宗の 一遍など、新仏教の担い手を輩出したことから日本仏教の母山とも称される。 標高848mの比叡山一帯に東塔地区をはじめ、西塔地区、横川地区と山麓の坂本地区を境内とし、三塔十六谷二別所の広大な大寺院である。 住職は、天台座主と呼ばれ、末寺を統括している。 「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。 現在も天台の思想に基づいた「千日回峰行」や「12年篭山行」などの厳しい修行が続けられている。

見所

国宝
根本中堂(こんぽんちゅうどう) - 最澄が一乗止観院を建てた場所で、延暦寺一山の総本堂にあたる。織田信長による焼き討ちなど幾度か焼失し、現在の姿は徳川家光によって再建されたもの。土間の内陣は、外陣より床が3mも低い天台宗特有の仏殿様式。中央須弥壇には、最澄作といわれる秘仏本尊 薬師如来立像が安置されている。本尊前の釣灯篭は、最澄の時代から続く「不滅の法灯」が灯っている。
天台法華宗年分縁起 - 伝教大師筆。国宝殿収蔵。
嵯峨天皇宸翰光定戒牒 - 三筆の嵯峨天皇筆。国宝殿収蔵。
伝教大師入唐牒 - 最澄の唐での通行許可書。
伝教大師将来目録 - 最澄が唐から将来した経典の自筆目録。
宝相華蒔絵経箱 - 平安時代後期作。(京都国立博物館寄託)
七条刺納袈裟、刺納衣 - 最澄が持ち帰った唐の染織遺品。(京都国立博物館寄託)
六祖恵能伝 - 最澄が持ち帰った唐の写本。(奈良国立博物館寄託)
羯磨金剛目録 - 最澄筆の将来品目録。(東京国立博物館寄託)
国重要文化財
根本中堂廻廊 - 根本中堂をコの字に囲む栃葺きの回廊。根本中堂と同時期に再建。
大講堂 - 僧侶が学問研鑽のため論議する道場で、昭和39年に坂本の東照宮の讃仏堂を移築したもの。本尊の両脇には、延暦寺で修行した高僧の像が、各宗派から寄進されて安置されている。向かって左から日蓮・道元・栄西・円珍・法然・親鸞・良忍・真盛・一遍。
戒壇院 - 僧侶が大乗戒(僧になることを誓う)を受ける非常に重要な場所。1678年の再建。
千手観音菩薩立像 - 9世紀作。国宝殿常設展示。
多聞天立像・広目天立像 - 10世紀作。国宝殿常設展示。
薬師如来坐像 - 10世紀作。国宝殿収蔵。
慈恵大師坐像 - 1256年作。国宝殿常設展示。
五大明王像 - 13世紀作。国宝殿収蔵。
絵画 - 絹本著色天台大師像、絹本著色天台大師像、絹本著色相応和尚像、絹本著色不動明王三大童子五部使者像、絹本著色文殊菩薩像、絹本著色山王本地仏像、紙本著色山王霊験記。
彫刻 - 木造四天王立像。(旧所在根本中堂)
彫刻 - 木造不動明王二童子像、木造降三世明王立像、木造軍荼利夜叉明王立像、木造大威徳明王像、木造金剛夜叉明王立像。(以上旧所在無動寺明王堂)
工芸品 - 尾長鳥繍縁花文錦打敷。
書跡典籍、古文書、歴史資料 - 紺紙金銀交書法華経 8巻、紺紙銀字法華経 8巻、華厳要義問答 行福筆、悉曇蔵 8帖、伝述一心戒文 上中下 3帖、延暦寺楞厳三昧院解 天禄三年正月十五日、山門再興文書、道邃和尚伝道文、宗存版木活字(付属品共)。
県重要文化財
阿弥陀堂鐘楼
観光名所
文殊楼 - 根本中堂の東側に急峻な石段を隔て建つ。延暦寺の山門にあたる。円仁が創建し江戸時代に焼失、その後再建された。
阿弥陀堂 - 昭和12年に建立された先祖回向道場。堂前には水琴窟がある。
法華総持院東塔 - 昭和55年再建。最澄が全国6ヶ所に建立した宝塔の中心となる多宝塔。
大黒堂 - 最澄が大黒天を感見したところで、大黒天信仰発祥の地とされる。
萬拝堂 - 全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神が勧請され、世界に遍満する神々も奉安している。
国宝殿 - 仏像や絵画・工芸品・文書などが収蔵展示されている。
祖師御行績絵看板 - 平成18年、比叡山出身の各宗祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。
一隅を照らす会館 - 参拝者のための無料休憩所。
大書院 - 昭和天皇即位の折、東京の村井吉兵衛邸の一部を移築。
浄土院 - 東塔から徒歩15分のところにある。最澄の廟がある比叡山で最も神聖な場所で、12年籠山修行の僧が生理現象以外は不眠不休で籠る。
無動寺谷 - 東塔から南へ1.5キロ離れたところにあり南山とも呼ばれる。不動明王と弁才天を祀り、千日回峰行の拠点である。回峯行の創始者とされる相応和尚が創建した。

行事

1/1~1/3
修正会 - 根本中堂にて。
1月~2月中旬
寒行の集い - 延暦寺会館にて。
1月26日
開宗記念法要 - 大講堂にて。
2月3日
節分会 - 根本中堂にて。
3/17~3/23
春季彼岸会 - 阿弥陀堂にて。
4/4~4/11
御修法 - 根本中堂にて。
4/20~4/21
山家会 - 大講堂にて。
4月22日
上宮太子講式 - 大講堂にて。
5月
浴餅供 - 大黒堂にて。
5月14日
慈覚大師御影供 - 大講堂にて。
5月17日
桓武天皇講 - 大講堂にて。
6月
結縁潅頂 - 潅頂堂にて。
6月3日
伝教大師御影供 - 大講堂にて。
6月4日
長講会 - 浄土院にて。
7月上旬
延暦寺写経会 - 延暦寺会館にて。
7月下旬
仏教文化講座 - 延暦寺会館にて。
8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い - 一隅会館前広場にて。
8月中旬
夜間特別拝観「法灯花」
8月中旬
盂蘭盆会 - 阿弥陀堂にて。
9/20~9/26
秋季彼岸会 - 阿弥陀堂にて。
10月頃
比叡山スタンプラリー
10/23~10/24
天台会 - 大講堂にて。
11月23日
比叡山競書大会表彰式 - 延暦寺会館にて。
11月24日
天台大師御影供 - 大講堂にて。
12月31日
鬼追い式・除夜の鐘 - 根本中堂周辺にて。

延暦寺の歴史

766年
伝教大師 最澄が近江国滋賀郡(現滋賀県大津市)に生まれた。
785年
最澄は比叡山に登りこの地で修行をし、草庵 薬師堂を建て自ら彫った薬師如来像を祀った。
786年
最澄は奈良東大寺で受戒し、正式な僧となった。
788年
最澄は、現在の根本中堂の場所に、薬師堂、文殊堂、経蔵からなる「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」を創建して比叡山を開いた。
804年
最澄は、入唐求法のために唐に渡り、天台山に登り天台教学の教えを受けた。
805年
帰国後、一乗止観院にて天台法華宗の確立に奔走した。
806年
桓武天皇の勅許により開宗が認められた。
822年
最澄は、南都旧仏教から独立して、比叡山に大乗戒壇を設立することが生涯の念願だったが果たせずに死去。
823年
嵯峨天皇から大乗戒壇の設立と「延暦寺」という寺号を賜った。
平安時代初期
第3世天台座主の慈覚大師 円仁と第5世天台座主 智証大師 円珍は、唐に留学して多くの仏典を習得し、延暦寺の密教の発展に尽くした。
平安時代中期
東塔・西塔・横川の三塔十六谷に三千ほどの寺坊をもつ一大寺院群を形成した中興の祖である第18世天台座主 元三大師 良源(りょうげん)の没後、円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになっていった。
993年
円珍派の僧が山を下りて園城寺(三井寺)に立てこもり、以来、円珍派の寺門(園城寺)と円仁派の山門(延暦寺)は抗争を繰り返していった。その結果、武装化した僧兵が現われ、「比叡山の山法師」と称され俗界との係わりを深め、奈良興福寺のそれと並び、南都北嶺と恐れられた。
平安末鎌倉期
天台教学は、「八宗兼学」といわれ、鎌倉新仏教などの宗祖を輩出した。(日蓮宗の日蓮、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、時宗の 一遍など。)
1443年
南朝の復興を目指す後南朝の日野氏らが御所から三種の神器の一部を奪い、根本中堂に立て籠った。(禁闕の変)
1571年
浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となり、織田信長の比叡山焼き討ちによって全山が焼失。
桃山江戸期
豊臣秀吉や徳川家の外護によって再建された。

撮影後記

 延暦寺といっても、一筒の建造物があるわけではなく、比叡山にある500ヘクタールほどの境内地と麓の坂本に点在する数百の堂塔の総称です。 そして、比叡山の山内を地域別に、東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」の三つに区分しています。 これを三塔と言い、東塔はそのなかでも核心地区になります。 坂本ケーブルなどの交通の便が良い立地なので、三塔のなかで最も賑わいます。 また、根本中堂から南へ1.5キロほど離れたところに、回峰行の拠点である無動寺谷の寺々もあります。
 撮影に関しては、問題がひとつあります。 それは、撮影そのものにあるわけではなく、アクセスに関することです。 延暦寺にマイカーで参拝するには、比叡山ドライブウェイを通らなくてはいけません。 しかし、その有料道路の料金設定が超割高なんです。 高野山に比べてなんだかなぁといった感じです。 現代に密教とか阿闍梨とか聞くと、やはり俗人の世界観とは違う世界で、あえて結界を張って観光地化をできるだけ拒んでいるのかもしれませんが。
 なお、比叡山延暦寺は近江ですが、世界遺産で「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されているし、歴史的経緯からも京都特集に組み込みました。

更新履歴

2011年8月2日
初版をアップロードしました。
2011年8月30日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2012年1月15日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2012年1月16日
延暦寺についてを加筆修正しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年2月4日
ギャラリーの作品を3点「比叡山」に移動しました。

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