涌泉寺

五山送り火「妙法」

松ケ崎にある平安時代開創の日蓮宗寺院で、大正時代に妙泉寺と本涌寺を合併して改号されたものである。五山送り火の「妙」「法」の文字を灯す寺院で、「松ケ崎題目踊・さし踊」は、市の無形文化財に指定されている。

涌泉寺

涌泉寺について

基本情報

山号寺号
松崎山涌泉寺(しょうさきざんゆうせんじ)
宗派
日蓮宗
創建
992年(正暦三年)
開山
日像
開基
源保光
本尊
三宝尊
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
松ヶ崎大黒天バス停徒歩3分
住所
京都府京都市左京区松ヶ崎堀町53
サイト
涌泉寺

概要

松ケ崎にある日蓮宗寺院で、五山送り火の「妙」「法」の文字を灯す寺院として知られる。 大正時代に松ヶ崎小学校拡張に伴い、妙泉寺と本涌寺を合併して、「涌泉寺」と改号されたものである。 涌泉寺は平安時代に比叡山三千坊の一つとして開創された松崎寺と称す寺院が起源と伝わり、1307年に日像上人に帰依し、日蓮宗に改宗した。 このとき松ケ崎村の全住人が法華宗に帰依して、「松ケ崎題目踊」の起源となったといわれる。 現在地にあった本涌寺は、妙泉寺の日生が「松ケ崎檀林」を開檀し、関西で初めて日蓮宗の檀林として興隆した。 五山送り火の後には境内で、「松ケ崎題さし踊」の盆踊りが行われている。

見所

市文化財
本堂 附題目板 - 1654年頃の建築で、東福門院の女院御所の残木を集めて建立された。旧本涌寺の講堂で6室からなる。京都壇林で最古の遺構。
観光名所
山門 - 薬医門形式で、山門の傍らに「法華宗根本学室」と刻まれた石柱が立つ。
七面宮 - 眼病救護の七面大明神として祀られている。
桜井水 - 枕草子に記されている井戸。紫式部は「春めける 声にきこゆる 鶯は また桜井に すめるなりける」と詠んだ。

行事

8月15~16日
松ケ崎題目踊・さし踊 - 題目踊は、1307年に松ケ崎住民が法華信者となったことに歓喜して、住職が踊躍したのに始まる中世芸能の面影を伝える盆踊り。洛北で踊られているさし踊は、近世になって流行り、団扇を手に「妙法」「蓮華経」「七遍返し」「難陀」の音頭を輪になって踊る。京都市指定無形文化財。
8月16日
松ケ崎妙法送り火 - 五山送り火のひとつ。松ケ崎西山(万燈籠山)に「妙」、松ケ崎東山(大黒天山)に「法」の字が点火される。日像が法華宗に改宗した際、「妙」の字を書き、「法」は湧泉寺の末寺大妙寺の日良が、東山に書いたことが始まりと伝える。京都市指定無形文化財。
10月19日
七面宮おん祭 - 日蓮宗の加持祈祷を執り行う。
12月第1日曜
像師会(おつや) - 日像上人の命日。
12月31日
除夜の鐘 - 懐中汁子等のご供養がある。

歴史

992年
中納言 源保光によって、比叡山三千坊の一つとして円明寺が開創され、「松崎寺」と称された。その後、「歓喜寺」と改称した。
1307年
歓喜寺の実眼は、法論の末に日像上人に帰依し、日蓮宗に改宗し「妙泉寺」と改称した。松ケ崎村の全住人が法華宗に帰依して、松ケ崎題目踊の起源となった。
1536年
天文法華の乱で、松ケ崎城が落城して妙泉寺も焼失した。
1575年
妙泉寺が聚楽第の厨庫を本堂として再興された。
1580年
妙泉寺の日生は、現在地に「松ケ崎檀林」を開檀した。
明治5年
学制発布により松ヶ崎檀林は廃檀し、「本涌寺」と改称した。
大正7年
松ヶ崎小学校の拡張に伴い、妙泉寺は本涌寺と合併して、「涌泉寺」と改号された。

撮影後記

 背後の松ケ崎東山には五山の「法」の火床が見え、その山麓に伽藍があります。 五山の送り火は、毎年そうだ京都行こうと思ってはいるものの、お盆期間中でなかなか機会がないものです。 いずれまた。

更新履歴

2014年12月17日
初版をアップロードしました。

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