新熊野神社

お腹の神様

後白河上皇が、平清盛に命じて熊野神社本宮の祭神を勧請し法住寺殿の鎮守としたのが起源。境内に立つ大樟は、上皇お手植ともいわれ、上皇が患っていた腹の病が治まったことから「お腹の神様」として信仰されている。

新熊野神社

新熊野神社について

基本情報

社名
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
別称
権現さん、今熊野権現
創建
1160年(永暦元年)
主祭神
伊邪那美尊(イザナミ)、後白河上皇
旧社格
村社
例祭
5月5日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
今熊野バス停徒歩3分、東福寺駅徒歩15分
住所
京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
サイト
新熊野神社

概要

1160年、後白河上皇が、平清盛に熊野詣でを命じ、熊野神社本宮の祭神を勧請し法住寺殿の鎮守としたのが起源。 境内の大樟(くすのき)は、樹齢800年の後白河上皇お手植ともいわれる楠の巨樹。 後白河上皇が患っていた腹の病が治まった逸話から、「お腹の神様」「安産の神様」として信仰されている。 本殿は代表的な熊野造で市の文化財に指定されている。 また、観阿弥・世阿弥父子が、将軍 足利義満の台覧の下、演能「新熊野神事猿楽」を奉じた地といわれ、日本初の演能をしたことで名高い。

見所

市文化財
本殿 - 代表的な熊野造。1673年、聖護院道寛親王により再建。1835年、大改修が行われた。
市天然記念物
大樟(くすのき) - 樹齢800年の後白河上皇お手植ともいわれる楠(クスノキ)の巨樹。熊野の神々が降り立つ「影向(ようごう)の大樟さん」と称される。後白河上皇が患っていた腹の病が治まった逸話から、「お腹の神様」「安産の神様」として信仰されている。
観光名所
樟龍辧財天 - 大樟さんが祀られ、大樟さんのさすり木
椥の木(なぎのき) - 本殿の左右に立つ御神木の椥(ナギ)。二つ仲良く並ぶことから夫婦円満・縁結びの樹といわれている。現地名「椥ノ森町」の由来。
摂末社 - 大樟社、結び社・速玉社、中四社、下四社、若宮社。

祭事

毎月第一日曜
月次祭と神道講座
1月1日
歳旦祭
1月成人の日
成人祭(左義長祭) - どんと焼き。
2月3日
節分祭
2月11日
紀元祭
5月5日
例祭(神幸祭) - 「新熊野祭」と称される大祭。鳳輦や子供神輿・稚児武者列が氏子域を巡行。今熊野観音寺の「御法楽」奉修の儀。
6月30日
大祓式 - 夏越祓。茅の輪くぐり。
8月15日
祖霊祭
9月中秋の名月
大樟祭 - 名月の下、後白河法皇を偲んで神楽「人長舞」が奉納される。
10月15日
大樟祭
10月16日
例大祭 鎮座記念大祭
11月20日
火焚祭
12月23日
天長祭(つなかけ祭) - 大樟に新年の注連縄を張る。
12月31日
除夜祭

歴史

1160年
後白河上皇が、平清盛に熊野詣でを命じ、熊野神社本宮の祭神を勧請し法住寺殿の鎮守とした。
1374年
観阿弥・世阿弥父子が、将軍 足利義満の台覧の下、演能「新熊野神事猿楽」を奉じた地といわれ、この年が「日本能楽史上紀元年」といわれる。
応仁の乱
社殿を焼失。
1663年
本殿が聖護院宮道寛親王(後水尾上皇の皇子)によって修復された。
1666年
徳川家光の妹 東福門院が、社殿を再建した。
1835年
社殿の大改修が行われ、本殿が下鴨神社の式年造営後に下付された。
近代
東大路通の拡幅や市電の軌道敷設により社地が縮小された。

撮影後記

 今熊野の東大路通沿いにある神社です。 熊野神社、熊野若王子神社と並び、京都三熊野のひとつになっています。 サッカーの八咫烏(やたがらす)でお馴染みですね。 ちなみに、熊野神社は聖護院門跡の鎮守社、熊野若王子神社は永観堂の鎮守社で、いずれも後白河上皇が深く信仰しています。 なんとも30回以上も熊野詣でをした方ですから。
 掲載した写真の提灯が灯っているのですが、撮影していたら突然点灯して、撮影が終わったら消灯しました。 もしかして社務所の方が御厚意で点けてくれたのでしょうか? そうだとしたら、ありがとうございます。

更新履歴

2012年7月4日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛南から移動しました。

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