誠心院

和泉式部

新京極通に面する真言宗泉涌寺派の寺院で、和泉式部を初代とする。1027年、藤原道長が中宮彰子に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院の一庵を与えたのが由来。秀吉の都市改造政策により、現在地に移された。

誠心院

誠心院について

基本情報

山号寺号
華嶽山誠心院(かがくざんせいしんいん)
別称
和泉式部寺
宗派
真言宗泉涌寺派
創建
1027年(万寿四年)
開山
和泉式部
開基
藤原道長
本尊
阿弥陀如来
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
阪急河原町駅徒歩8分、京阪三条・四条駅徒歩8分
住所
京都府京都市中京区中筋町487
サイト
誠心院

概要

新京極通に面する真言宗泉涌寺派の寺院で、華嶽山東北寺誠心院と号す。 平安時代を代表する女流歌人の和泉式部を開祖としている。 寺伝によれば、1027年(万寿四年)関白藤原道長が、娘の上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために、荒神口にあった法成寺東北院の一庵を与えたのが由来。 その庵は「小御堂(こみどう)」と称された。 鎌倉時代、鴨川の氾濫などで一条小川の誓願寺南隣に移転し、更に天正年間(1573年~1592年)豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に移された。 本堂小御堂には、中宮彰子から賜わったと伝わる阿弥陀如来像、尼姿の和泉式部像などが安置され、式部の墓と伝わる正和二年(1313年)銘の宝篋印塔が境内に立っている。

見所

観光名所
小御堂(本堂) - 中宮彰子から和泉式部が賜わったと伝わる本尊阿弥陀如来像、尼姿の和泉式部像、藤原道長像が安置されている。
山門 - 平成9年の再建。新京極通に面して建つ。
二十五菩薩石像 - 謡曲「誓願寺」で式部往生の際に現れる二十五菩薩の像。天正年間(1573年~1592年)の移転時、宇治田原城主 山口甚介により建立された。
和泉式部の歌碑 - 霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる
軒端(のきば)の梅 - 式部が愛でた軒端の梅に因み植栽された。
和泉式部の墓 - 正和二年(1313年)銘の宝篋印塔。
山口甚介一族の墓 - 豊臣秀吉の命で誠心院を移転させ再興させた武将。

行事

3月21日
和泉式部忌 - 和泉式部の命日。謡曲「東北」「誓願寺」の奉納。

歴史

1027年
関白藤原道長が和泉式部のために、荒神口にあった法成寺東北院の一庵を与えたのが由来。
平安時代
その庵は「小御堂」と称された。
鎌倉時代
鴨川の氾濫などで一条小川の誓願寺南隣に移転し、泉涌寺末寺になった。
1573~1592年
天正年間、豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に移された。
1864年
禁門の変による大火で類焼。
明治4年
京都府知事槇村正直の命令で新京極通が通され、境内が二分されて堂宇を失った。
平成9年
山門が再建された。

撮影後記

 京都を代表する繁華街の新京極に面した寺院です。 商店街はいつも大勢の若者で賑わっていますが、山門から一歩境内に足を踏み入れると、四面をビルに囲まれているのに喧騒とは無縁の静けさがあります。 別世界のような不思議な浄域、それが誠心院。

更新履歴

2015年10月7日
初版をアップロードしました。

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