東北院

軒端の梅

浄土寺真如町にある時宗寺院。中宮藤原彰子の発願によって、道長建立の法成寺の北東に建立され、「東北院」と呼ばれた。本堂前には、和泉式部が名付け、世阿弥の謡曲「東北」にも謡われた名梅「軒端の梅」がある。

東北院

東北院について

基本情報

山号寺号
雲水山東北院(うんすいざんとうほくいん)
宗派
時宗
創建
1030年(長元三年)
開基
上東門院(藤原彰子)
本尊
弁財天
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
真如堂前バス停徒歩10分
住所
京都府京都市左京区浄土寺真如町83

概要

浄土寺真如町にある時宗寺院。 藤原道長の没後、道長の娘である上東門院(藤原彰子)の発願によって、道長建立の法成寺の北東に建立され、上東門院が居住した。 上東門院母 源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の西北にあり、「西北院」と呼ばれたことから、「東北院」と呼ばれた。 寺基を転々とし、1693年に火災で焼失したため、真如堂移転に伴い現在地に遷された。 本堂前には軒端の梅(のきばのうめ)と称する白梅が植えられている。 法成寺の東北にあった頃、和泉式部が閑居して梅を眺め「軒端梅」と称し、世阿弥の謡曲「東北」に謡われた軒端の梅に因み植えられた。

見所

国重要文化財
東北院職人歌合絵巻 - 鎌倉時代14世紀前半の作。東北院の念仏会に参集した職人たちが、貴族にならって歌合をしている。(東京国立博物館寄託)
観光名所
本堂 - 最澄が刻んだと伝わる本尊弁財天像が安置されている。江戸時代の後西天皇宸筆という「東北院」の扁額がある。
弁天堂
軒端の梅 - 法成寺の東北にあった頃、和泉式部が閑居して梅を眺め「軒端梅」と称したという。世阿弥の謡曲「東北」に謡われた軒端の梅に因み植えられた。
雲井水 - 庭の池泉を雲水と称し、弁財天守護の霊水であり、悪鬼邪魅の災いを祓うという。

歴史

782年
桓武天皇の鎮護国家の守護神として弁財天を彫刻し、禁裏の表鬼門である北東(艮)に祀ったという。
1030年
藤原道長の没後、道長の娘である上東門院(藤原彰子)の発願によって、道長建立の法成寺の北東に、天台宗の常行三昧堂として建立され、上東門院が居住した。
1059年
法成寺の火災により類焼したため、法成寺北の上京区北之辺町付近に再建された。
1171年
焼失し、仏像や経典は西北院(上東門院母 源倫子が建立した常行三昧堂)に遷され、すぐに再建された。
室町時代
念仏会が京都の風物詩になり、最澄が刻んだといわれる弁財天像が人々の崇敬を集めた。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1559年
時宗僧の弥阿が、残されていた弁才天を本尊として、時宗に改宗した。
1570年
兵火により焼失し、その後に正親町天皇の勅命により再建された。
1693年
火災で焼失したため、真如堂移転に伴い現在地に遷された。

撮影後記

 謡曲「東北」の軒端の梅のお話を簡単に。 東国からの僧が当院を訪れると、境内に一本の白梅が咲いていた。 住職に尋ねると、和泉式部御手植えの梅という。 僧が法華経を唱え供養すると、朧月夜の闇より和泉式部の御霊が現れ、昔日の想い出を語り始め、やがて儚く消えていった。 僧が夢から目覚めると、辺りに梅の残香のみがあったという。

更新履歴

2014年12月14日
初版をアップロードしました。

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