若一神社

平清盛

平清盛別邸の西八条殿の鎮守社と伝わる。熊野詣にて霊告があり、土中より若一王子の御神体が現われたという。境内には平清盛御手植えと伝わる樹齢800年以上のクスノキが立ち、神社のシンボルとなっている。

若一神社

若一神社について

基本情報

社名
若一神社(にゃくいちじんじゃ)
創建
伝 772年(宝亀三年)
主祭神
若一王子
例祭
11月10日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
西大路八条バス停徒歩1分、JR西大路駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98

概要

平清盛公別邸の西八条殿の鎮守社と伝わる。 熊野詣で霊告あり、土中より若一王子の御神体が現われたという。 翌年、平清盛が太政大臣に任ぜられ、開運出世の神様と尊崇される所以となった。 西八条殿は現梅小路公園付近に築かれ、軍事拠点の六波羅邸に対し、西の交通の要衝に営まれた平家の生活拠点である。 清盛は出家後、福原に在住することが多く、西八条殿には妻の時子が住し、周辺には頼盛、重盛、宗盛など平家一族が集住した。 境内には平清盛御手植えと伝わる樹齢800年以上のクスノキが立ち、シンボルとなっている。

見所

観光名所
本殿 - 若一王子を祀る。
大楠 - 平清盛が太政大臣に任ぜられた際、西八条殿に御手植えされたと伝わる樹齢800年以上の御神木。樹下には楠社が祀られている。
神供水 - 平清盛が日供祭にて御神前に供えられてきた御神水。熱病で体を冷ますために使ったとも。古くから知られる地下水で、開運出世や産湯としての御利益がある銘水。
平清盛像 - 御神水をかけると病気平癒や開運出世の御利益があるといわれる。
祇王歌碑 - 人世の無情を歌った祇王の歌碑。
末社 - 寿命社、弁財天社、松尾社、稲荷社、楠社、祖霊社。

歴史

772年
光仁天皇の御代、唐からの威光上人が熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、若一王子の御神体を当地に勧請したと伝わる。
平安時代
その後、異変により社殿が消失し、この地は浅水の森と称し風光明媚な地であった。
1166年
平清盛が六波羅在住の頃、熊野詣で霊告あり、この地に別邸の西八条殿を造営し、土中より若一王子の御神体現われ、鎮守社としたと伝わる。
1167年
翌年、平清盛が太政大臣に任ぜられ、開運出世の神様と尊崇される所以となった。

撮影後記

 西大路通沿いにある平清盛ゆかりの神社です。 車の往来で騒がしい西大路から一歩境内に足を踏み入れると静かなもんです。 写真を撮っていると、神職さんが社務所から出てきて、親切にも境内各所の説明を事細かくしてくれました。
 西大路通を南行していると前方にクスノキの巨樹が見えてきます。 このクスノキはいわく付きで、昭和初期の西大路通拡張と市電の敷設の際に、邪魔になるので枝を切り落としたところ、工事関係者に次々と不幸が襲ったそうです。 平野神社からずっと直線の西大路通が、この付近だけ迂回しているのは、忌み嫌って伐りはらうのを避けたためなんだそう。

更新履歴

2013年8月3日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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