新善光寺

来迎堂

「来迎堂」と呼ばれる浄土宗寺院。本尊の阿弥陀如来像は、信濃善光寺創建者である本田善光の子 義助が、善光寺本尊の分身として造立されたものと伝わる。豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に寺地を移されている。

新善光寺

新善光寺について

基本情報

寺号
新善光寺(しんぜんこうじ)
別称
来迎堂
宗派
浄土宗
創建
1109年(天仁二年)
中興開山
顕月
本尊
阿弥陀如来
札所
洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺) 第47番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
河原町五条バス停徒歩3分、地下鉄五条駅徒歩5分
住所
京都府京都市下京区本塩竈町553

概要

六条河原院跡にある浄土宗寺院。 本尊の阿弥陀如来像は、信濃の善光寺創建者である本田善光の子 義助が、善光寺の本尊阿弥陀如来像の分身として造立され、当初は南都に安置されていた。 天仁二年(1109年)、堀川松原に伽藍が建立され、阿弥陀如来像が南都より遷され、「来迎堂新善光寺」と呼ばれるようになった。 応仁の乱後に寺地を転々とし、天正19年(1591年)、豊臣秀吉の都市改造政策により現在地に移された。 現在の堂宇は、江戸時代の天明・元治の大火で類焼した後に再建されたものである。

見所

観光名所
本堂(来迎堂) - 本尊の阿弥陀如来像は、信濃の善光寺創建者である本田善光の子 義助が、善光寺の本尊阿弥陀如来像の分身として造立され、当初は南都に安置されていた。
地蔵堂 - 来迎地蔵を安置。洛陽四十八願所地蔵めぐり第47番札所

歴史

飛鳥時代
本田義助が、善光寺の本尊阿弥陀如来像の分身として阿弥陀如来像を建立した。
平安時代
源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)が、この地に六条河原院を創建し、塩竃を炊き塩焼を愉しんだといわれる。
1109年
堀川松原に伽藍が建立され、阿弥陀如来像が南都より遷され、「来迎堂新善光寺」と呼ばれた。
中世
顕月が再興した。
応仁の乱
兵火で荒廃し、寺地を転々とした。
1569年
足利義昭は寺領45万石を下付し、浄土宗に改宗した。
1591年
豊臣秀吉の都市改造政策により現在地に移された。
江戸時代
幕府より御朱印の寺領を受け、御祈祷所として栄えた。
1788年
天明の大火で焼失した。
1864年
元治の大火で類焼した。

撮影後記

 五条大橋の西側、国1の大通りから少し南に入った場所にあるお寺で、先日アップした得浄明院と同じくして、信州善光寺と関係があるお寺です。 この辺りは本塩竃町とも呼ばれ、源氏物語でお馴染みの源融が、塩焼の風流を愉しんだことが由来です。
 普段は一般拝観はしていないようですが、先日(2014年10月11日)に「京都浄土宗寺院・特別大公開」の一環として、堂内が特別公開されたようです。

更新履歴

2014年12月23日
初版をアップロードしました。

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