綾戸国中神社

久世駒形稚児

元は綾戸社と國中社の二社であった久世の式内社。綾戸社は大堰川七瀬の祓神「大井社」と称されていた。國中社の御神体は駒形で、祗園祭に供奉する稚児社参で駒形を棒持することから「久世駒形稚児」と言われる。

綾戸国中神社

綾戸国中神社について

基本情報

社名
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)
創建
不詳
主祭神
綾戸神社:大綾津日神、大直日神、神直日神
國中神社:素盞嗚尊(スサノオ)
旧社格
式内社、村社
例祭
5月第2日曜日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
JR桂川駅徒歩6分、久世橋西詰バス停徒歩5分
住所
京都府京都市南区久世上久世町446
サイト
綾戸國中神社

概要

元は綾戸神社と國中神社の二社であったが、戦国時代に國中社が綾戸社の社地に遷され合祀され「綾戸国中神社」と改称された。 昭和39年、東海道新幹線建設にともない、現在の高架東側に遷座した。 綾戸神社は、飛鳥時代の継体天皇年間、大堰川(桂川)七瀬の祓神として、「大井社」と称されていたと伝わる。 久世郷全体の郷社であったと推定される國中社は、訓世の郷(久世)がまだ一面湖水の時、スサノオが天から降臨し、水を切り流し広々とした平野とされ、その中心に愛馬の頭を彫刻した駒形を尊の形見として祀ったのに始まるという。 この駒形が國中社の御神体であり、祗園祭に供奉する久世稚児社参が、胸に駒形を棒持することから「久世駒形稚児」と言われる所以である。 祇園祭の神幸祭と還幸祭では、金色の烏帽子、白の狩衣姿で馬に乗った駒形稚児が、スサノオが鎮まる中御座神輿の先導を務める。

見所

観光名所
本殿 - 南向きの一社殿二扉の本殿で、向かって左扉が綾戸宮で右扉が國中宮。室戸台風で倒壊前は西向きの二社殿であった。國中社の御神体は駒形。
拝殿 - 「綾戸宮」「國中宮」の額は、後冷泉天皇の宸筆の写しといわれる。

祭事

1月1日
歳旦祭 - ぜんざい、こぶ茶の接待。
4月15日
祈年祭
5月第2日曜日
例祭 - 奉賛会による奏楽、餅の接待。
6月15日
久世駒形稚児発表祭 - 氏子の男児から祇園祭に供奉する久世駒形稚児2名を披露し、神前にて報告祭を行う。
6月30日
大祓式
7月13日
久世稚児社参の儀 - 祇園祭に供奉する駒形稚児が期間中の無事を祈願する。
7月17日
神輿祭 - 祇園祭の神輿祭に供奉するため、午後1時半に神社を出発する。御神体の駒形を胸に掛けて馬に乗り、金色の烏帽子、白の狩衣姿で顔を白く化粧し社参。
7月24日
還幸祭 - 祇園祭の返幸祭に供奉するため、午後2時半に神社を出発する。御神体の駒形を胸に掛けて馬に乗り、金色の烏帽子、白の狩衣姿で顔を白く化粧し社参。
11月23日
新嘗祭
12月31日
大祓式

歴史

507年~531年
継体天皇年間、大堰川(桂川)七瀬の祓神として、「大井社」と称されていたと伝わる。
522年
綾戸大明神として大綾津日神、大直日神、神直日神の三柱が勧請されたと伝わる。
965年
「綾戸社」と改称した。近代までは「大井社」と呼ばれていたともいう。
中世
久世郷全体の郷社であったと推定される國中社は、蔵王の杜(光福寺蔵王堂)に鎮座しており、「牛頭天王社」と呼ばれていた。
戦国時代
國中社が綾戸社の社地に遷され合祀され「綾戸国中神社」と改称された。
昭和9年
社殿が室戸台風で倒壊した。
昭和11年
20m北の地に本殿と拝所を再建。
昭和39年
東海道新幹線建設にともない、現在の高架東側に遷座した。

撮影後記

 久世橋通の起点である上久世交差点近くにある神社です。 はじめて参詣したとき、カーナビ通りに進んだら北東側の住宅街の狭い路地に入り込み、脱出困難になり四苦八苦しました。 お車の方は大通りからアクセスしてください。 一台分の参拝者用駐車場も、ちゃんと用意されています。
 境内には、すぐ脇を東海道新幹線の高架があり、高架の向こう側に社務所があります。 新幹線開通のため移転を余議なくされた全国唯一の社だそうです。 戦前には鉄道開通に伴い、国に境内を接収されることはよくありましたが、新幹線は寺社の境内をできるだけ避けて路線が決定されたのかもしれませんね。

更新履歴

2013年2月5日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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