京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
明の渡来僧・隠元が開創した中国風のお寺です。
インゲンマメに、禅師の名前が見てとれます。
他にも孟宗竹やスイカ、そしてレンコンを日本にもたらしといわれ、夏の境内は鉢植えのハスや蓮池でまさにハス尽くしです。
ちなみに、秘密のケンミンショーではありませんが、関西ではインゲンマメをフジマメ、フジマメをインゲンマメと呼ぶそうで、実際にはフジマメをもたらしたともいわれるそうです。
歴史が絡んでちょっと面白いですね。
ここのお寺は、なんといっても普茶料理が有名で、それが目的でお参りにくる参拝客が多いです。
大徳寺などで食べられる一般に連想される日本風精進料理とは違い、メニューは中国語で、油っこく、大皿から小皿に取り分けて食べます。
こういうところから、中国人が一人二人で静かに食べずに、親族みんな集まってワイワイガヤガヤと食べるのが好きな理由がわかります。
萬福寺はもとより、門前の白雲庵、高台寺門前の一休菴などで食べられます。(要予約)
また、「普茶」とは「あまねく大衆に茶を供する」という意味だそうで、煎茶道の開祖も禅師とされています。
全日本煎茶道連盟の事務局が当寺におかれ、萬福寺の管長が全日本煎茶道連盟の会長を務めています。
心も胃袋も満腹になれる萬福寺ですね。
萬福寺(まんぷくじ)は、1661年創建の黄檗宗(おうばくしゅう)大本山。 山号は黄檗山、開山は中国明代の渡来僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)、本尊は釈迦如来である。 中国式寺院で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観や作法が特有である。 当寺で食すことができる中国風精進料理の普茶料理は有名である。 1654年、日本でも高名であった中国臨済宗の禅師・隠元隆琦が63歳の時、長崎・興福寺の招きに応じて来日。 はじめ興福寺、次いで摂津富田の普門寺に住した。 高齢だったため当初3年間の来日の予定だったが、日本側の信奉者たちが日本に留まることを強く希望し、その旨を幕府にも働きかけた。 1658年、隠元は江戸に下り、将軍徳川家綱に拝謁し、家綱も隠元に帰依した。 1660年、幕府によって宇治の中和門院(後水尾天皇の母親)の別荘跡に、隠元のために新しい寺が創建されることになった。 ここに至って、隠元は日本に骨を埋めることを決意した。 元禄年間(1688年~1704年)、伽藍が完成して、31の塔頭を持つ大寺院となった。 萬福寺住持は、隠元以降も13代まで中国から招聘され、1740年、第14代住持の龍統が、日本人の住持とはじめてなった。 以降、17代を除き21代まで中国僧が務め、22代以降は、日本人僧によって引き継がれている。
住所: 京都府 宇治市五ヶ庄三番割34
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