浄教寺

平重盛

寺町通四条にある浄土宗の寺で、平重盛が小松殿に燈籠堂を建立したのが起源。1449年、立誉が燈籠堂を東洞院高辻に移し、花園天皇より浄教寺の寺号が下賜された。その後、豊臣秀吉の都市改造で現在地に移された。

浄教寺

浄教寺について

基本情報

山号寺号
多聞山浄教寺(たもんざんじょうきょうじ)
宗派
浄土宗
創建
1171年~1175年(承安年間)
開基
平重盛 - 平清盛の嫡男。
本尊
阿弥陀如来
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
四条河原町バス停徒歩2分
住所
京都府京都市下京区貞安前之町620

概要

寺町通四条にある浄土宗の寺である。 承安年間(1171年~1175年)、平清盛の嫡男である平重盛が、東山小松谷の小松殿に燈籠堂を建立したのが起源。 1449年(文安6年)立誉が燈籠堂を東洞院高辻(下京区本燈籠町)に移し、花園天皇より浄教寺の寺号が下賜された。 その後、豊臣秀吉の都市改造で現在地に移された。

見所

観光名所
本堂 - 本尊阿弥陀如来像、平重盛像を安置している。
内大臣平重盛公之碑 - 有栖川宮熾仁親王の揮毫。
鎮守社 - 平重盛が勧請した熊野大権現が祀られている。

歴史

1171~1175年
承安年間、平重盛が東山小松谷の小松殿に燈籠堂を建立したのが起源。
1449年
立誉が燈籠堂を東洞院高辻(下京区本燈籠町)に移し、花園天皇より浄教寺の寺号が下賜された。
1591年
豊臣秀吉の都市改造で、寺町通四条の現在地に移された。
幕末
伊予宇和島藩主伊達宗城の宿舎となった。

撮影後記

 四条河原町のタカシマヤと藤井大丸の間にあるお寺で、ビルの谷間に建っています。 「平家物語」のなかの小松殿にあった燈籠堂とは、48間の精舎にそれぞれ48体の阿弥陀仏を安置し、1間ごとに6官女を置き念仏を唱えさせたという、三十三間堂に匹敵する壮大なスケールです。 そして48間に燈籠を掲げたことから燈籠堂と呼ばれました。

更新履歴

2015年10月2日
初版をアップロードしました。

浄教寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野