崇泰院

元大谷

浄土宗総本山知恩院の塔頭で、1603年の知恩院拡張の際に建立された。「元大谷」と称され、親鸞聖人の末娘である覚信尼が、此の地に大谷廟堂を建立した。その後に大谷本願寺となり、「本願寺発祥之地」とされる。

崇泰院

崇泰院について

基本情報

寺号
崇泰院(そうたいいん)
別称
元大谷
宗派
浄土宗知恩院派
寺格
知恩院塔頭
創建
1603年(慶長八年)- 大谷本願寺は1272年(文永九年)の開基。
開山
竹村道清
開基
覚信 - 親鸞の末娘 覚信尼(かくしんに)。
本尊
八ッ藤阿弥陀如来
駐車場
有料駐車場あり - 知恩院駐車場利用。
交通機関
知恩院前バス停徒歩5分
住所
京都府京都市東山区林下町401
サイト
元大谷崇泰院

概要

浄土宗総本山知恩院の塔頭で、1603年、徳川家康による知恩院拡張の際に、再建普請奉行の竹村道清により建立された。 寺号は竹村道清の戒名による。 「元大谷」と称され、親鸞聖人の末娘 覚信尼が、鳥辺野北辺に納められた親鸞の遺骨を、当院のある吉水の北の辺に改葬し、「大谷廟堂」を建立したことによる。 その後に大谷本願寺となり、「本願寺発祥之地」とされる。 また、本願寺中興の祖である蓮如上人が大谷本願寺で誕生されたことから、「蓮如上人御誕生之地」ともされている。

見所

観光名所
本堂 - 明治34年の再建。
書院 - 明治31年の再建。
親鸞聖人墳墓 - 裏庭の後丘に親鸞聖人の墳墓が祀られている。
蓮如上人産湯之井戸 - 此の地に本願寺中興の祖である蓮如上人が生まれ、産湯を汲んだ井戸と伝わる。

歴史

1272年
覚信尼が鳥辺野北辺に納められた親鸞の遺骨を、当院のある吉水の北の辺に改葬し、「大谷廟堂」を建立した。
1321年
覚如が寺院化を試み、「本願寺(通称 大谷本願寺)」と号した。
1415年
蓮如が大谷本願寺で誕生た。
1465年
大谷本願寺は延暦寺西塔の衆徒によって破却された。(寛正の法難)
1603年
徳川家康による知恩院拡張の際に、親鸞の廟所が勝久寺(現在の大谷本廟)に遷され、再建普請奉行の竹村道清により「崇泰院」が建立された。
明治時代
無住となり荒廃した。
明治31年
庫裡が再建された。
明治34年
本堂が再建された。

撮影後記

 知恩院の黒門を出て左側にある寺院で、門前の神宮道にはよく観光バスが縦列停車しています。 現在は知恩院の塔頭で浄土宗寺院ですが、どちらかというと本願寺に関する石碑などが境内に数多く立っていて、浄土真宗寺院といった雰囲気がします。 まぁ、法然と親鸞は法脈が同じですから、宗教の違い程ではないのですが。 ウェブサイトにも「宗派にとらわれず、歴史上色々な出来事が起こりました地として、知的好奇心を持って、 多くの方が参拝されることを心よりお待ちしております。」と書かれていました。

更新履歴

2014年12月29日
初版をアップロードしました。

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