京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
臨済宗東福寺の塔頭。 1387年、薩摩藩6代 島津氏久が、東福寺第54世 剛中玄柔を開山として建立し、薩摩藩の菩提寺とした。 庭園は、関白 藤原兼実が晩年営んだ山荘「月輪殿」の跡で、京都市の名勝に指定されている。 境内奥の採薪亭(さいしんてい)跡は、西郷隆盛と清水寺の月照が、新撰組や幕府の追っ手を逃れ、この茶亭に身を潜め、王政復古を志し幕府転覆の策をめぐらした地である。 桜田門外の変から鳥羽伏見の戦いを経て維新を成し遂げた。 西郷隆盛は倒幕後、この地での鳥羽伏見の戦いで戦死した薩摩群の霊を供養するため、半年滞在して斎戒沐浴した。
先日公開した龍吟庵の隣にある塔頭です。
龍吟庵と同じく、秋に特別公開され、普段は公開塔頭ではありません。
名勝庭園が見所なのですが、境内の奥に「採薪亭跡」があり、この地に身を隠し、西郷隆盛と月照が討幕を企てたことを知りました。
安政の大獄で、西郷と月照は共に採薪亭を脱出して薩摩藩に逃れたのですが、月照がブラックリスト要人だったため藩では厄介者扱いされ、暗殺されかねなくなります。
月照は死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に身を投じることになります。
西郷も入水をし一命を取り留めたことは、その後の歴史が示してくれますが、回復に一ヶ月ほどかかったそうです。
もしも三途の川を渡っていたならば、その後の歴史が変わっていたでしょうね。
また、篤姫が、徳川家へのお興しいれの際、この即宗院に立ち寄ったそうです。
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