天寧寺

額縁門

寺町通に面する曹洞宗寺院。もと会津城下にあったが、天正年間(1573年~1592年)此の地に移転した。山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額に入った一幅の絵のように見えることから、「額縁門」と称される。

天寧寺

天寧寺について

基本情報

山号寺号
萬松山天寧寺(ばんしょうざんてんねいじ)
宗派
曹洞宗
創建
南北朝時代
開山
傑堂 - 楠木正成の八男。
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄鞍馬口駅徒歩6分
住所
京都府京都市北区天寧寺門前町301

概要

寺町通に面する曹洞宗寺院。 もと会津城下にあったが、天正年間(1573年~1592年)この地に移転した。 現在の伽藍は天明の大火(1788年)後の再建で、市の有形文化財に指定されている。 本堂には仏師春日作と伝える本尊釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏と伝わる聖観音像及び東福門院の念持仏といわれる薬師如来像を安置している。 また、山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額に入った一幅の絵のように見えることから、「額縁門」と称されている。

見所

国重要文化財
銹絵水仙文茶碗 仁清作 - 江戸時代を代表する陶工である野々村仁清作の茶碗。
馬祖寵居士問答図 - (京都国立博物館寄託)
市文化財
本堂 附中門 - 1812年の再建。仏師春日作の釈迦如来像が安置されている。正面に向拝を設け、前列を仕切らずに1つの空間とし、臨済宗寺院の方丈建築とは異なる。
書院 - 1845年の再建。上の間と下の間からなり、西北隅に一間四方の室が張り出す。
表門 - 1857年再建の薬医門形式。
山門 - 寺町通から眺めると、比叡山が額に入った一幅の絵のように見えることから、「額縁門」と称せられる。
市天然記念物
カヤ - 樹高は14m、幹周4.78mの市内有数の大木。主幹の傷痕は、天明の大火で類焼したものといわれている。
観光名所
観音堂 - 後水尾天皇の念持仏とされる聖観音像や東福門院の念持仏とされる薬師如来像が安置されている。
墓地 - 江戸時代の茶人 金森宗和、剣道示現流開祖 善吉和尚、儒者 寺島俊則などが眠る。

歴史

鎌倉時代
道元が京都に開創した三ヶ寺の一つともいわれる。
室町時代
この地には延暦寺末寺の天台宗松陰坊があった。
1573~1592年
曹洞宗僧 傑堂能勝(楠木正成の八男)が、会津城下に創建した。
1573~1592年
天正年間、第10世祥山により会津から松陰坊跡の現在地に移転した。
桃山時代
上杉氏の家老 直江兼続や、松平乗元らにより再興された。
江戸時代
京都所司代 板倉勝重によって伽藍が整備された。
1788年
天明の大火で焼失した。
江戸時代後期
現在の伽藍が再建された。

撮影後記

 寺町通が鞍馬口通と交わる付近にある寺院で、寺町寺院のなかでも最北部に位置しています。 秀吉によって市内移転させられたものではなく、会津から京都に移転してきた寺院です。 会津天寧寺の墓地には、新選組局長 近藤勇の墓があります。 近藤勇の墓は各地にありますが、土方歳三が遺髪を持っていて、会津戦の折に仮埋葬したものだそうです。

更新履歴

2014年12月15日
初版をアップロードしました。

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