光福寺

ほしな寺

浄土宗知恩院派の寺院で、秀吉に干菜を献上したことより、「干菜寺」と呼ばれる。寛元年間(1243~1247年)に六斎念仏を世に広めた道空の開基で、六斎念仏総本寺の勅号を持つ。1582年に乙訓から現在地に遷った。

光福寺

光福寺について

基本情報

山号寺号
干菜山光福寺(ほしなざんこうふくじ)
別称
干菜寺(ほしなでら)
宗派
浄土宗知恩院派
創建
1243年~1247年(寛元年間)
開山
月空宗心(げっくうそうしん)
開基
道空
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
出町柳駅徒歩3分
住所
京都府京都市左京区田中上柳町56

概要

干菜山と号する浄土宗知恩院派の寺院で、「ほしな寺」と呼ばれている。 寺伝によれば、寛元年間(1243~1247年)に道空が乙訓郡西山安養谷に建立した斎教院が起源と伝わる。 道空上人は、六斎念仏を世に広めたことで知られ、その由緒をもって後柏原天皇から六斎念仏総本寺の勅号を賜った。 天正十年(1582年)に、月空宗心によって現在地に移された。 豊臣秀吉が鷹狩の際に立ち寄り、宗心が乾菜(ほしな)を献上したことにより、「干菜山光福寺」の称号を与えられたという。

見所

観光名所
本堂 - 正和二年(1313年)に花園天皇から賜った閉目の阿弥陀如来像を安置。
観音堂 - 江戸時代中期の作といわれる如意輪観音菩薩像を安置。
山門 - 傍らに六斎念仏総本寺の石標、干菜寺六斎念仏の石碑が建っている。
庭園 - 豊臣秀吉から拝領した名石を配している。

歴史

1243~1247年
寛元年間、道空上人が乙訓郡西山安養谷に建立した斎教院が起源と伝わる。
1582年
月空宗心によって現在地に移された。
1593年
豊臣秀吉が鷹狩の際に立ち寄り、宗心が乾菜(ほしな)を献上したことにより、「干菜山光福寺」の称号を与えられた。

撮影後記

 「西山・乙訓」カテゴリに蔵王堂紀行が掲載してありますが、そこの寺号も「光福寺」になります。 毎年8月31日に、国の重要無形文化財に指定されている久世六斎念仏踊りが奉納されるのですが、ここで紹介している出町柳の光福寺も、もとは乙訓に寺域がありました。
 六斎念仏には、空也堂傘下の空也堂系と、光福寺傘下の干菜寺系があります。 近世までは干菜寺系が盛んでしたが、近代になると踊念仏で芸能的彩色を帯びている空也堂系が盛んになっていきました。

更新履歴

2014年12月27日
初版をアップロードしました。

光福寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野