頂妙寺

日蓮宗京都十六本山

二条大橋の東にあり、広大な寺域をもつ日蓮宗京都十六本山のひとつである。室町時代に創建され、今も名が残る上京区元頂妙寺町などに度重なる移転をし、現在地に落ち着いたのは江戸時代になってからである。

頂妙寺

頂妙寺について

基本情報

山号寺号
聞法山頂妙寺(もんほうざんちょうみょうじ)
宗派
日蓮宗
寺格
本山
創建
1473年(文明5年)
開山
日祝(にっしゅう)
開基
細川勝益
本尊
十界曼荼羅
札所
洛中法華21ヶ寺
駐車場
無料駐車場あり - 拝観以外は有料駐車場もあり。
交通機関
川端二条バス停すぐ
住所
京都府京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96

概要

二条大橋の東にあり、広大な寺域をもつ日蓮宗十六本山のひとつである。 創建は1473年。 日蓮宗の僧 日祝が、壇越の武将 細川勝益から寺地の寄進を受け、勝益の頂妙院殿から妙頂寺と号され創建された。 足利将軍家祈願所となり栄えた。 もとは今も名が残る上京区元頂妙寺町にあったが、その後度重なる移転をし、現在地に落ち着いたのは1673年といわれる。 天明の大火により焼失し、現在の伽藍は、その後再建されたもの。 蹴上から琵琶湖疏水に沿って門前に至る仁王門通は、当寺の仁王門が由来とされる。

見所

国重要文化財
紙本墨画牛図 2幅 - 俵屋宗達筆。(京都国立博物館寄託)
府文化財
京都十六本山会合文書
観光名所
本堂
客殿
祖師堂
大黒天堂
仁王門 - 仁王門通の由来となった。仁王像(頭部のみ)は、運慶・快慶作とされる。
塔頭 - 妙雲院、本立院、善立院、真浄院、真如院、法輪院、大乗院、善性院。

歴史

1471年
日蓮宗の僧 日祝が、壇越の武将 細川勝益から柳馬場四条の寺地の寄進を受けた。
1473年
勝益の頂妙院殿から妙頂寺と号され創建された。以後、足利将軍家祈願所となる。
1509年
将軍 足利義植の命によって下長者町新町(上京区元頂妙寺)に移転した。
1523年
将軍 足利義晴の命によって高倉中御門に移転し、法華宗洛内21法華本山になった。
1536年
天文法華の乱で焼き討ちされ洛中を追われた。
1542年
勅許により洛中還住が認められた。
1546年
高倉中御門の旧地に再興された。
1573年
織田信長による焼討ちで、鷹司新町に移転した。
1580年
当寺三代 日珖が、織田信長の命によって開かれた浄土宗と法華宗(日蓮宗)との間での宗論(安土問答)に日蓮宗代表として臨んだが敗れ、以後の布教を禁じられた。(安土法難)
1673年
御所の整備に伴って現在地に移転した。
1788年
天明の大火により焼失。現在の伽藍は、その後再建されたもの。

撮影後記

 川端二条の近くにある日蓮宗の京都十六本山のひとつです。 本堂を取り囲むように八院もの塔頭が座し、立派な寺院です。 現伽藍は文化財には指定されていないようですが、仁王門の楼門や本堂など風格があります。
 駐車場に関してですが、私は境内の有料駐車場に停めましたが、拝観の場合は境内の駐車場に停めてもいいようです。

更新履歴

2012年6月11日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

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