寂光寺

囲碁本因坊の寺

1578年創建の顕本法華宗本山で、「囲碁本因坊の寺」として知られる。二世日海は囲碁の名手で、寺内塔頭の本因坊に住み、本因坊算砂と号した。二世算悦、三世道悦を経て四世道策の時、本因坊は当寺から江戸に移った。

寂光寺

寂光寺について

基本情報

山号寺号
妙泉山寂光寺(みょうせんざんじゃっこうじ)
別称
囲碁本因坊の寺
宗派
顕本法華宗
寺格
本山
創建
1578年(天正6年)
開山
日淵 - 妙満寺26世。
開基
日淵 - 妙満寺26世。
本尊
三宝尊
札所
洛中法華21ヶ寺
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
地下鉄東山駅徒歩5分、東山仁王門バス停徒歩2分
住所
京都府京都市左京区北門前町469

概要

顕本法華宗本山で、「碁道本因坊元祖之道場」として知られる。 寺伝によれば、1578年に妙満寺26世日淵により室町出水に創建され、院号より久遠院と号した。 豊臣秀吉の聚楽第造営にともない寺町二条、更に1708年の大火で現在地に寺基を遷した。   二世日海は寺内塔頭の本因坊に住み、本因坊算砂と号した。 算砂は囲碁の名手で、織田信長から「名人」の名を贈られた。 豊臣秀吉や徳川家康にも指南役を務め、本因坊の名称は、碁界家元の地位を持ち、技量卓抜な者が襲名継承することとなった。 二世算悦、三世道悦を経て四世道策の時、本因坊は当寺から江戸に移った。  

見所

観光名所
本堂 - 1776年の建立。
書院 - 1716年の建立。
歴代本因坊の墓 - 元祖本因坊算砂、2代本因坊算悦、3代本因坊道悦、4代本因坊道策の墓。

歴史

1578年
妙満寺26世日淵が、室町出水に久遠院を創建した。
1579年
日淵は浄土宗との安土宗論に敗れ、弟子の日海が継いだ。
1590年
豊臣秀吉の聚楽第造営にともない、寺町二条に移転した。
1591年
妙泉寺内に移転合併し、空中山寂光寺と改称した。
1708年
宝永の大火により焼失し、現在地に移転した。
戦後
妙泉寺を合併して、妙泉山寂光寺と改称した。

撮影後記

 囲碁は打たないのですが、将棋は何度か大会に出場したこともあるほどに、打ち込んでいたこともありました。 墓地の入口付近に歴代本因坊の墓がありますので、囲碁を嗜んでいる方は立ち寄ってみるといいでしょう。 本因坊算砂辞世の句「碁なりせば 劫なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」

更新履歴

2014年12月10日
初版をアップロードしました。

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