安楽寺

承元の法難

鎌倉時代初頭、法然弟子 住蓮房と安楽房が鹿ヶ谷草庵を結び、浄土礼讃の念仏道場としたのが起源。後鳥羽上皇女御 松虫と鈴虫姫は当寺に出家し、激怒した上皇は、住蓮と安楽を斬首し、法然は讃岐国に流罪となった。

安楽寺

安楽寺について

基本情報

山号寺号
住蓮山安楽寺(じゅうれんざんあんらくじ)
別称
松虫鈴虫寺
宗派
浄土宗の単立
創建
鎌倉時代初頭
開山
住蓮、安楽
開基
住蓮、安楽
本尊
阿弥陀如来
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
真如堂前バス停徒歩10分
住所
京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21
サイト
安楽寺

概要

鹿ケ谷にある「住蓮山」と号する浄土宗の単立寺院である。 鎌倉時代初頭、法然上人の弟子 住蓮と安楽が現在地より東側の山中に鹿ヶ谷草庵を結び、六時礼讃をおこない浄土礼讃の念仏道場としたのが起源である。 1206年(建永元年)、後鳥羽上皇女御 松虫姫と鈴虫姫の姉妹が教化され、上皇の熊野詣の留守中に鹿ヶ谷草庵を訪れ無断で剃髪し出家する出来事があった。 激怒した上皇は、専修念仏停止を宣下され、住蓮、安楽は斬首され、法然上人は讃岐国に親鸞聖人は越後国に流罪となった。(承元の法難) その後、帰京した法然上人により、住蓮房、安楽房の菩提を弔うために再興され「住蓮山安楽寺」と号された。 現在地に寺基を遷したのは、天文年間(1532~1555年)の頃である。 毎年7月25日に開催される「中風まじない鹿ケ谷かぼちゃ供養」が風物詩となっている。

見所

国登録文化財
本堂 - 江戸時代後期の再建。本尊阿弥陀五尊像、住蓮・安楽両上人像、松虫・鈴虫両姫像、法然上人像を安置。
書院 - 江戸時代後期の建立。書院庭園は東山を借景とした躑躅や皐月の苅込で構成される。
山門 - 明治25年建立の茅葺きの門。

行事

6月第1日曜
安楽住蓮の法要会
7月25日
鹿ケ谷カボチャ供養 - 瓢箪形をした鹿ヶ谷かぼちゃを煮炊きしたものを食べると中風除けとなる。掛け軸が虫干しを兼ねて公開され、鹿ヶ谷南瓜をはじめ加茂茄子、万願寺唐辛子、九条葱などの京野菜が販売される。

歴史

鎌倉時代初頭
法然弟子 住蓮と安楽が現在地より東側の山中に鹿ヶ谷草庵を結び、浄土礼讃の念仏道場とした。
1206年
後鳥羽上皇女御 松虫姫と鈴虫姫の姉妹が教化され、上皇の熊野詣の留守中に鹿ヶ谷草庵を訪れ無断で剃髪し出家した。
1207年
激怒した後鳥羽上皇により専修念仏が禁止とされ、住蓮、安楽は斬首され、法然と親鸞は流罪となった。(承元の法難)
1212年
帰京した法然により、住蓮房、安楽房の菩提を弔うために再興され「住蓮山安楽寺」と号された。
1532~1555年
天文年間、現在地に本堂が再建され寺基を遷した。

撮影後記

 哲学の道から一本山際を南北に走る通称「隠れ道」に面しています。 普段は拝観謝絶の看板が立っていますが、桜が咲く頃(4月上旬の土日)、ツツジの頃(5月上旬の大型連休)、サツキの頃(5月下旬~6月上旬の土日)、モミジの頃(11月~12月上旬の土日・祝日)に特別公開されます。 期間中の本堂では、住職が簡単な縁起や説法をしてくれる親切なお寺です。

更新履歴

2015年3月4日
初版をアップロードしました。

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