観音寺

国宝十一面観音立像

京田辺市にある真言宗智山派の古刹。飛鳥時代に義淵により創建され、奈良時代に良弁が中興し、平安時代には興福寺別院として栄えた。本堂には国宝「十一面観音立像」が安置され、京都では珍しい天平仏である。

観音寺

観音寺について

基本情報

山号寺号
息長山観音寺(そくちょうざんかんのんじ)
別称
大御堂観音寺、普賢寺大御堂
宗派
真言宗智山派
創建
飛鳥時代
開山
義淵(ぎえん)
開基
天武天皇
本尊
十一面観音
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
普賢寺バス停徒歩5分
住所
京都府京田辺市普賢寺下大門13

概要

京田辺市にある真言宗智山派の古刹。 飛鳥時代、法相宗の義淵により創建された親山寺(筒城寺)が起源と伝わり、奈良時代に良弁が中興し、良弁の高弟 実忠が第一世として入寺し「普賢寺」と号し、十一面観音立像を安置したといわれる。 平安時代以降、藤原氏の氏寺である興福寺別院として栄え、度重なる火災に遭うが、藤原氏の庇護のもと再建された。 本堂には、普賢寺の旧仏である国宝 木心乾漆十一面観音立像が安置され、京都では非常に珍しい天平仏として知られる。

見所

国宝
木心乾漆十一面観音立像 - 本堂本尊。普賢寺の旧仏で、京都では非常に珍しい天平仏(729年~749年)。奈良聖林寺の十一面観音立像を模したといわれる。
観光名所
大御堂 - 国宝十一面観音立像が安置されている本堂。昭和28年の再建。
鐘楼

行事

2月
二月堂竹送り - 1200年余の歴史を誇る東大寺二月堂のお水取りの籠松明にとして使われている真竹を二月堂まで届ける。

歴史

飛鳥時代
天武天皇の勅願により法相宗の義淵により創建された親山寺(筒城寺)が起源と伝わる。
744年
聖武天皇の勅願により良弁が親山寺を取り込み伽藍を増築し「普賢教法寺」と号した。
奈良時代
良弁の高弟 東大寺の実忠が第一世として入寺し「普賢寺」と号し、十一面観音立像を安置したといわれる。法相三論華厳を兼学する「筒城の大寺」と称された。
794年
火災で焼失。
853年
藤原良房、円仁により再興された。
平安時代
藤原氏の氏寺である興福寺別院として栄えた。
952年
興福寺の正昭により再興され、法相宗となった。
1068年
火災で焼失。
1095年
藤原師実により再興された。
1180年
平重衡の兵火によって焼失するが、藤原基通により再建された。
1283年
火災で焼失するが、藤原家基により再建された。
1360年
兵火で焼失。
1383年
畠山家国により再興された。
1437年
火災で伽藍を焼失。
1565年
火災で焼失。
昭和28年
本堂が再建された。

撮影後記

 南山城にあるので京都特集で紹介していますが、南都との結びつきが強い古刹です。 大御堂と呼ばれる本堂には、天平時代の仏像が安置され、御住職も相当に誇らしげに自慢していました。 かつては興福寺の別院として藤原氏の外護のもと七堂伽藍兼備の大寺として栄え、本堂西の小高い丘には五重塔の心礎が残っています。
 春になると、一面の菜の花畑と桜並木の参道が美しい場所でもあるので、次回は春に再訪してみたい場所であります。

更新履歴

2012年10月5日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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