京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
豊国廟の参道沿いに建つ、後白河天皇と日吉山王七神を主祭神とする単立神社。 後白河法皇が、御所としていた法住寺殿の鎮守社として、近江の日吉大社から神々を勧請したのが由来。 酒造、医薬、縁結びの神として信仰されている。 朝廷の崇敬厚く皇族の御幸は108度に及んだといわれ、多く天皇の遺物、宸筆を蔵す。 また、江戸後期の小沢蘆庵(おざわろあん)を筆頭に、近世文学の資料を蘆庵文庫の名で宮司家が保存していることは名高い。 5月に催される新日吉祭は、宮中行事を再興したもので、稚児武者の行列が氏子の住む地域を巡行する。 また、近江坂本の日吉猿楽から伝わった「翁」の曲を観阿弥が当社で上演したといわれ、「演能発祥の地」といわれる。
新日吉神宮で面白いのは、修学院の赤山禅院でも見かけましたが、日吉神社の神使である金網に入れられた神猿(まさる)。
鬼門除けの赤山禅院の猿とは意味合いが違うのかもしれませんが、「魔が去る」「何より勝る」という語呂合わせを兼ねています。
金網に入れられたのは、盗難防止も兼ねているのだとは思いますが、猿が逃げ出さないようにとのこと。
無論、本物のサルではないので、そこがツボなのですが。
また、サル繋がりで、秀吉とも縁のある社のようです。
経緯は歴史を見ていただくとして、境内には秀吉を祭った樹下社(このもとのやしろ)という末社があります。
樹下社の「樹下」と、木下藤吉郎の「木下」が同じ音を持っていて、神官が密かに豊太閤を祭ったものといわれています。
江戸時代、家康によってタブー視されはしましたが、太閤を信仰する人々の拠り所となっていたのかもしれません。
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