龍雲寺

桃山善光寺

伏見区桃山にある天台宗の寺である。もとは深草大亀谷にあったが、1715年に伏見奉行 石川総乗が桃山の地に中興した。その後、信濃善光寺の一光三尊阿弥陀如来像を模刻し、「桃山善光寺」と呼ばれるようになった。

龍雲寺

龍雲寺について

基本情報

山号寺号
雨宝山龍雲寺(うほうざんりゅううんじ)
別称
桃山善光寺、新善光寺
宗派
天台宗
中興
1715年(正徳五年)
開山
石川総乗
開基
石川総乗
本尊
十一面観世音
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
JR桃山駅徒歩6分
住所
京都府京都市伏見区桃山毛利長門東町37

概要

伏見区桃山にある天台宗の寺である。 もとは深草大亀谷敦賀町にあったが、1715年(正徳5年)に伏見奉行 石川総乗(珍恭和尚)が、徳川綱吉の念持仏であった観音菩薩像を本尊とし、関ヶ原の戦いで討死した鳥居元忠ら配下数百名の菩提を弔う為に中興した。 現在地の南東側にあたる桃山町三河に移築された。 その後、信濃善光寺の一光三尊阿弥陀如来像の御開帳がおこなわれ、信徒からの懇望でその像を模刻し、「桃山善光寺」と呼ばれるようになった。 明治31年、伏見桃山陵の造営に伴い、現在地の桃山毛利長門町に移転した。 鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩軍砲兵隊長 大山巌が陣地とし、旧幕府軍が布陣していた伏見奉行所を攻撃したという。

見所

観光名所
本堂 - 醍醐寺塔頭を移築したもの。徳川綱吉の念持仏という十一面観世音菩薩像、信州善光寺の一光三尊阿弥陀如来像(模刻)を安置。
山門 - 1715年の創建時の建立。
墓地 - 尊王攘夷派十津川郷士87柱の墓。

歴史

江戸時代
深草大亀谷敦賀町にあった。
1715年
伏見奉行 石川総乗(珍恭和尚)が、桃山町三河の地に移築。
1796年
信濃善光寺の一光三尊阿弥陀如来像の御開帳がおこなわれ、信徒からの懇望でその像を模刻し、「桃山善光寺」と呼ばれるようになった。
1868年
鳥羽・伏見の戦いで、薩摩軍砲兵隊長 大山巌が陣地とした。
明治27年
一帯が明治天皇陵(伏見桃山陵)として買い上げられた。
明治31年
現在地の毛利長門町に移転した。

撮影後記

 全国善光寺会に所属している桃山にあるお寺です。 京都には龍雲寺の他に、東山の清水寺、知恩院近くにある得浄明院、山科にある福應寺などが所属しています。 全国には400躰以上の一光三尊様式の阿弥陀如来像(善光寺仏)があり、平成5年に善光寺と縁のある寺社によって「善光寺サミット」が開催され、その席上で「全国善光寺会」が設立されたそうです。

更新履歴

2015年2月26日
初版をアップロードしました。

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