広河原

広河原松上げ

丹波高地東部の桂川源流の氾濫原に開けた地で、平家の落人伝説が残り、茅葺き屋根の民家が残る美しい里山である。冬は寒さが厳しい豪雪地帯でスキー場がある。柱松行事「松上げ」や「ヤッサコサイ」で知られる。

広河原

広河原について

基本情報

名称
広河原(ひろがわら)
交通機関
出町柳駅から京都バス花背線で2時間弱。
所在地
京都府京都市左京区広河原 尾花町・下之町・杓子屋町・菅原町・能見町
サイト
京都保勝会

概要

桂川源流域に位置する広河原は、丹波高地東部の氾濫原に開けた地で、冬は寒さが厳しい豪雪地帯である。 平家の落人伝説が残り、茅葺き屋根の民家が残る美しい里山である。 過疎化が進行しているが、京都市内唯一のスキー場が営業され、陶芸家や藍染家などの職人が移住し、古の文化と新しい文化が融合する地域が創られている。 また、上桂川ではアマゴやイワナなど川釣りが楽しめる。 古来から丹波国の桑田郡黒田村に属していたが、昭和30年に京北町町制施行で北桑田郡京北町広河原になった。 しかし、山を隔てた京北町黒田よりも、花背との繋がりが深い地域であるため、京都市への編入を望む声が高まり、昭和32年に京都市左京区へ編入された。 毎年8月24日には、市の無形民俗文化財に指定されている柱松行事「広河原松上げ」が盛大に行われる。 点火終了後には、「広河原ヤッサコサイ」が奉納される。

見所

観光名所
上桂川 - 日本海に注ぐ由良川水系との大分水嶺にあたる佐々里峠に発する桂川(淀川水系)は、広河原から花脊に南流する。源流域の上桂川では、アマゴやイワナなど川釣りが楽しめる。
佐々里峠 - 南丹市美山町佐々里に通じる標高735mの峠。丹波高地東部の鞍部であり、峠以北は若丹山地とも呼ばれる。平家の落ち武者がこの峠を越えたと伝えられる。
京都広河原スキー場 - 京都市内唯一のスキー場。全面スノーボードでの滑走が可能で、ナイター営業もしている。
職人の店 - 木工職人の「北山クラフト」、陶芸家の「蕗窯」、藍染家の「芳心庵」など広河原に移住した職人の店がある。

行事

8月17日
観音講 - 観音堂で市の無形民俗文化財「広河原ヤッサコサイ」が踊られる。女性は浴衣に下駄を履き、男性は山行の服装で、踏み鳴らす下駄のリズムに合わせて、即興的な替歌を織り交ぜながら掛け合い形式で踊る。
8月24日
広河原松上げ - 柱松行事のひとつで、火伏せと五穀豊穣を祈る愛宕神事。市の無形民俗文化財に指定されている。地面に刺した1,000本の松明に点火後、高さ20mの丸太の先(トロギという)につけた笠を河原(トロギバという)に立て、上げ松をトロギの笠めがけて投げ上げ点火させる。点火終了後、伊勢音頭を唄いながら観音堂に練り込み、そこで盆踊り「広河原ヤッサコサイ」が行われる。

撮影後記

 花背のさらに奥に位置するのが広河原。 東に位置している久多は、琵琶湖に注ぐ安曇川水系エリアなため、滋賀側からのアクセスが便利で、近江の文化を残す地域です。 北の美山(知井)は、若狭に接して、丹波と若狭の文化が混在した地域ともいわれます。 南の花背は、江戸時代初期まで丹波国に属していたのですが、山城国に編入されました。 広河原というと、昭和30年代まで西の京北町黒田の丹波国にあたる地域に長らく属していました。 「松上げ」などがあり、文化的地理的に山城の花背に近いのでしょうが、丹波でしたので、東西南北に異なる文化圏がある特殊な地域かもしれません。
 ひとつわからないのは、なぜ広河原が、山を隔てた丹波の黒田村(現在の京北町黒田)に属していたのかということ。 黒田村には7つの大字があり(広河原、芹生、宮、灰屋、片波、上黒田、下黒田)、このうち広河原だけ山を隔て離れています。 江戸正保年間に、大布施村・八桝村・別所村の花背3村が山城国愛宕郡に編入されたのですが、もともと花脊は峰定寺がある原地新田(花脊原地町)のみを花脊といい、大布施・八桝・別所の3村と広河原村は黒田に属していて、広河原だけ取り残されたと考えればよいのでしょうか。 手元に資料がないため、よくわかりません。

更新履歴

2012年7月28日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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