京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
桂川源流域に位置する広河原は、丹波高地東部の氾濫原に開けた地で、冬は寒さが厳しい豪雪地帯である。 平家の落人伝説が残り、茅葺き屋根の民家が残る美しい里山である。 過疎化が進行しているが、京都市内唯一のスキー場が営業され、陶芸家や藍染家などの職人が移住し、古の文化と新しい文化が融合する地域が創られている。 また、上桂川ではアマゴやイワナなど川釣りが楽しめる。 古来から丹波国の桑田郡黒田村に属していたが、昭和30年に京北町町制施行で北桑田郡京北町広河原になった。 しかし、山を隔てた京北町黒田よりも、花背との繋がりが深い地域であるため、京都市への編入を望む声が高まり、昭和32年に京都市左京区へ編入された。 毎年8月24日には、市の無形民俗文化財に指定されている柱松行事「広河原松上げ」が盛大に行われる。 点火終了後には、「広河原ヤッサコサイ」が奉納される。
花背のさらに奥に位置するのが広河原。
東に位置している久多は、琵琶湖に注ぐ安曇川水系エリアなため、滋賀側からのアクセスが便利で、近江の文化を残す地域です。
北の美山(知井)は、若狭に接して、丹波と若狭の文化が混在した地域ともいわれます。
南の花背は、江戸時代初期まで丹波国に属していたのですが、山城国に編入されました。
広河原というと、昭和30年代まで西の京北町黒田の丹波国にあたる地域に長らく属していました。
「松上げ」などがあり、文化的地理的に山城の花背に近いのでしょうが、丹波でしたので、東西南北に異なる文化圏がある特殊な地域かもしれません。
ひとつわからないのは、なぜ広河原が、山を隔てた丹波の黒田村(現在の京北町黒田)に属していたのかということ。
黒田村には7つの大字があり(広河原、芹生、宮、灰屋、片波、上黒田、下黒田)、このうち広河原だけ山を隔て離れています。
江戸正保年間に、大布施村・八桝村・別所村の花背3村が山城国愛宕郡に編入されたのですが、もともと花脊は峰定寺がある原地新田(花脊原地町)のみを花脊といい、大布施・八桝・別所の3村と広河原村は黒田に属していて、広河原だけ取り残されたと考えればよいのでしょうか。
手元に資料がないため、よくわかりません。
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