随心院

小野小町

真言宗善通寺派の大本山。もとは、仁海が991年に創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であった。美人歌人として知られる小野小町ゆかりの寺でもある。また、境内の小野梅園は、京都の梅の名所である。

随心院

随心院について

撮影後記

 随心院は、山科のはずれにありますが、小野小町ゆかりの寺として結構人気があります。 東北に行くと、本当かどうかは別にして、小野小町伝説は結構残っていますね。 あきたこまちや、秋田新幹線のこまち号などに代表されるように。 やはり美人の代名詞的存在なので、財政の厳しい地方にとっては観光客の誘致力があるのでしょう。 ここ随心院でも小野小町にあやかり、ミスコンが毎年催されています。
 「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に(小野小町)」「芸術は長く人生は短し」「少年老い易く学成り難し」「邯鄲の夢」 だんだん意味がわかってきた近頃。

歴史・概要

真言宗善通寺派の大本山。 小野流の開祖として知られる仁海の開基。 本尊は如意輪観音。 もとは、仁海が991年に創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であった。 1229年、後堀河天皇より、門跡の宣旨を賜り、門跡寺院となる。 その後、七堂伽藍が建造され、山城、播磨、紀伊などに多くの寺領を有したが応仁の乱によりほとんど焼失。 1599年、本堂が再建され、以後九条二条両宮家より門跡が入山し、両宮家の由緒をもって寄進再建される。 小野は小野氏の一族が栄えたところである。 宮中で仁明天皇に仕え歌人として知られる小野小町も、この地の出で宮中を退いて後も過ごしたとされる。 小野小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め、文塚、化粧の井戸などの遺跡が残る。 境内の小野梅園は、北野天満宮と並び京都の梅の名所である。

住所: 京都府 京都市山科区小野御霊町35

更新履歴

2010年8月31日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

随心院紀行のコメント

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「芸術は長く人生は短し」、父(テキスタイルデザイナー・カメラマン・画家)の座右の銘です。私も小学校卒業時の一言集に書いてます(笑)

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