牧護庵

法皇寺

臨済宗大本山南禅寺の塔頭。1320年、南禅寺5世 約翁徳検の寂後、庵を創建して「牧護庵」と号された。宇多天皇ゆかりの「法皇寺」が合併されている。疏水庭園には、わらべ地蔵があちらこちらに置かれている。

牧護庵

牧護庵について

基本情報

寺号
牧護庵(ぼくごあん)
宗派
臨済宗南禅寺派
寺格
南禅寺塔頭
創建
1320年(元応二年)
開基
約翁徳検 - 南禅寺5世。
駐車場
有料駐車場あり - 南禅寺駐車場利用。
交通機関
永観堂前バス停徒歩5分、地下鉄蹴上駅徒歩7分
住所
京都府京都市左京区南禅寺福地町

概要

臨済宗大本山南禅寺の塔頭のひとつである。 1320年(元応二年)、南禅寺5世 約翁徳検の寂後、庵を創建して「牧護庵」と号した。 宇多天皇ゆかりの「法皇寺」が合併されている。 法皇寺の起源は、推古天皇の勅願により乙訓郡今里(長岡京市)に創建されたと伝わる乙訓寺である。 宇多天皇が法皇となると、乙訓寺を行宮(あんぐう)とされ、堂塔が整備され「法皇寺」と号された。 琵琶湖疎水を引いた池泉回遊式庭園には、わらべ地蔵があちらこちらに置かれている。

見所

観光名所
本堂 - 昭和初期の建立。
わらべ地蔵の庭 - 平成4年に作庭された琵琶湖疎水を引いた池泉回遊式庭園。彫刻家 杉村孝作の像があちらこちらに置かれている。江戸時代の「都林泉名勝図会」にも掲載されているが、現在とは地割が異なる。
寛平法皇御旧跡法皇寺碑 - 寛平法皇(宇多天皇)ゆかりの乙訓にあった法皇寺を合併している。

歴史

飛鳥時代
推古天皇の勅願により、乙訓郡今里(長岡京市)に乙訓寺が建立したと伝わる。
897年
宇多天皇が法皇となると、乙訓寺を行宮とされ、堂塔が整備され「法皇寺」と号された。
1320年
南禅寺5世 約翁徳検の寂後、庵を創建して「牧護庵」と号し、南禅寺塔頭となった。
室町時代
法皇寺に内紛があり、足利義満は僧徒を追放し、南禅寺の伯英禅師に与え、今熊野日吉町に移った。
江戸時代
法皇寺が東門前町に移転した。
明治11年
法皇寺が南禅寺塔頭金地院に合併した。
明治21年
牧護庵と法皇寺が合併し、「法皇寺」とした。
平成4年
寺号が「牧護庵」に復した。

撮影後記

 南禅寺の三門の向かいに位置する非公開塔頭です。 鹿ケ谷道に面しているので、紅葉の時期などは山門越しの錦秋の景観が衆目を集めます。
 開山の約翁徳検(仏燈国師)は鎌倉の出身で、鎌倉の建長寺15世でもあります。 建長寺塔頭の龍峰院が塔所となっています。 孤児だったといわれ、建長寺開山の蘭渓道隆が童役として引き受けたそうです。 そんな由緒からなのか、門前の石碑の上や境内には、わらべ地蔵がいっぱい。 三千院の有名な「わらべ地蔵」と同じ彫刻家によるものです。

更新履歴

2015年3月3日
初版をアップロードしました。

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